エレン・ファヴォリンの雪
朧月夜

 僕の薪小屋に雪がふったよ。照り返しがまるで白夜みたいだ。あの夏、ねえさんは船着場から太陽を見ていた。そんなに遠くにあるものを見ていて、どうするのって、僕聞いたんだ。そうしたらね、
「太陽は遠くなんか、ないわ? 太陽はすぐそこにあるものよ? わたしたちがちいさいから、太陽は遠くにあるように、見えるのね……」
 ねえさん、そう言ったんだ。僕のほんとうのねえさんじゃ、ないんだよ。僕を弟のように愛しているから、僕はねえさんだって、思っているんだ。あの夏にね、夏至のころだったかなあ、僕たちで裏山に出かけたときだ、白樺の林をぬけて、あちこちにある苔をふんで、幹にそっと触れたりしながら、僕たち登っていったんだ。フィヨルドほど高くはないよ、そこらじゅうにある山さ。僕ね、おもわずねえさんの手をつかんだ。大人になったら、僕、ねえさんと結婚したいな。そう思ったんだ。
 手の腱がふるえていた。ちょうど雲の切れ間からさす光みたいに。
 ねえさんはボートを出して、モーターのエンジンをかけた。
 僕は、ただ見送った。
 今朝、僕はひとりで朝食の用意をする。昨日、僕はひとりで朝食の用意をした。一昨日も、僕はひとりで朝食の用意をした。春まではなにも帰ってこない。花も、日ざしも。でもね、僕は冬が好きだよ。凍える手がこごえるとき、僕の冬は僕自身にかわる。僕は冬じたいにかわる。いつか、春はやってくるよ? でも……それはまだ先のこと。僕は足もとの雪をふんだ。僕の靴をじっと見つめる。やがて、僕のつま先にゆっくりと水がにじんでくるまで。そうしてはじめて海を見るんだ。沖にはむこうの島が見える。あの島には電気がかよっている。あの島には水道もかよっている。あの島には手紙もとどく。でもね、僕は僕の薪小屋を冬じゅう守るんだ。雪から。風から。冷たさから。吹雪から。
 海鳴りがする。風が遠く、遠く、聞こえる。風の音は太陽よりも遠い。太陽は、ねえさんよりも遠い。ねえさんは、僕のなかにいる。ぼくのなかのねえさんが、もういちど声をたてて、言う。
「いつか、フィヨルドの上でね。わたし、いつだったかフィヨルドの上で……」
 フィヨルドの上で、何をしたんだろう。きっと、帽子が飛んだんだ。それを追いかけようとして、思いとどまって、帽子はフィヨルドの底、海の底に消えたよ。……それからさ、ねえさんが僕たちの島で夏をすごすようになったのは。ねえさんはいつだって、一鉢の花をかかえてやってくる。まだ、咲いていない花を。僕は、ねえさんとともに来る夏を待っている。白樺の林や、釣り上げられる魚たちといっしょに待っている。砂利の小道や、薪割りされた焚き木たちが待っているように。僕は、夏を待っている、僕がいつか大人になる日を。僕は待っている。


[ Ellen Favorinのイメージによせて ]


自由詩 エレン・ファヴォリンの雪 Copyright 朧月夜 2019-11-19 00:06:55
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