自分史(業界誌記者時代1 ー 大学休学、就職)
日比津 開

 21歳のとき、大学を休学し業界誌の記者
として働くことになった。父の仕事が上手
くいかなくなり、父と母との離婚もあり自
宅を手放し、家族がバラバラに散っていっ
た。

 僕は成城大学経済学部の3年だったが、
父とも母とも一緒に暮らすことを選択せず、
弟たちは母に付き、僕は独立していきなり
1人暮らしをすることになった。お金もな
く、どうしたら良いか途方に暮れたが、中
学時代からの親友の母親が持つアパートに
入居させてもらい、また当面の生活費も貸
してくれて何とかなった。

 ゼミの教授に現状を相談したところ、大
学は休学扱いにし働くことになった。仕事
探しをし、業界誌の記者の募集があったの
で応募したところ運良く採用された。都内
千代田区神田小川町に本社を置き、大阪、
広島に支局を持つ従業員40~50名の中堅
の業界誌だった。

 編集局は国土開発、新交通システム、海
外協力、産業機械など4~5の分野に別れ、
周2回刊の通信誌を発行していた。僕は産
業機械の編集記者として配属され、社会人
生活をスタートさせることになった。同じ
部署にはキャップを含め先輩記者2人と校正
担当の女性社員1人がいて4人体制で通信を
発行していた。


*自分史は誕生から順をおって書くとすぐ
挫折しそうなので、書きたいところ、思い
ついたところから書いています。




散文(批評随筆小説等) 自分史(業界誌記者時代1 ー 大学休学、就職) Copyright 日比津 開 2019-11-15 02:54:28
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