自分史(音楽事務所勤務時代14 ー 会社解散)
日比津 開

 神原社長ご夫妻は功成り、名をあげ、財も
成したが、一流の音楽事務所にまで育てた会
社を後継者に引き継いでいくことはしなかっ
た。僕たち従業員は会社の株式を取得して会
社を経営していくことを望んでいたが、社長
の健康状態が悪化し倒れ、2003年6月をもっ
て会社は解散することになった。

 1960年の設立以来、ピアノのバックハウス
アシュケナージ、ラローチャ、バイオリンの
グリュミオー、シェリング、パールマン、指揮
のチェリビダッケ、テノールのパバロッティ、
ギターのブリーム、フラメンコのガデス、オヨ
ス、イ・ムジチ合奏団、ベルリン・フィルなど
神原音楽事務所が招聘してきたクラシックのア
ーティストは枚挙に暇がない。

 僕たち従業員はこうしたクラシック音楽界の
老舗で働けたことは誇りに思っていたが、ただ
一つ社長ご夫妻が後継者を作らなかったことは
非常に残念に思えた。おそらく、社長ご夫妻は
自分たちが一代で築き上げた会社の財産、名声
を他の人に安易に渡したくなかったことがあっ
たのだと思う。

 マネージャーの中には別会社を作り、アーティ
ストたちの何人かを引き継いで招聘していくこ
とになったが、僕は彼らとは同調はできず、解
散の前に退職することにした。
 ウィーンに旅行したき、『この仕事を僕の天
職として一生かかわらせて下さい』とブラーム
スのお墓の前で祈ったことは叶えられなくなっ
た。僕が提案し育成してきた会員組織は自分の
子供のようなものだったが、会社解散により会
員もなくなり、子供を亡くしたような虚脱感、
悲しみを味わった。
 唯一の慰めは、退職のとき会員の何名かの方
が集まり、送別会を開催してくれたことだった。




散文(批評随筆小説等) 自分史(音楽事務所勤務時代14 ー 会社解散) Copyright 日比津 開 2019-11-14 05:46:58
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