台所の海
帆場蔵人

水道水にヒマラヤの岩塩を溶かして
瓶に注いでいけば四〇億年前の海だ

空っぽの冷蔵庫の唸りとぶつかる
海鳴りに耳を傾けている台所の
卓上の猫たちの我がもの顔
原始の海に釣り糸を垂らす
僕が何を釣り上げるのか、と
食卓にあがる獲物を観る瞳と
海の香を嗅いでいる小さな鼻

火にかけた鍋のなかで四〇億年後の
海の生命も静かに耳を傾けているのは
自分たちのルーツに興味があるから?

台所の海はあまりに静かだ

思索の釣り糸は揺れない
アミノ酸でも、足そうか
光合成しないと駄目なのか

時だけがたれていく

なんにしてもカンブリア爆発も
生命が海から上がってくるのも
まだまだ先だから鍋から皿に
盛りつけた煮魚を僕は食べる

猫たちは原始の海など忘れて
僕の周りをグルグル回って
空腹を満たして寝てしまう

真夜中の卓上に置かれた海に
注がれる視線と時と月明かり
釣り糸はまだまだ揺れない

ハルキゲニアやアノマロカリスは
まだかと猫たちと眠りの糸垂らし
台所にはシダ植物が密林をつくり
陸に上がった魚のヒレが夢を擽る

恐竜たちが闊歩して瞬く間に滅びて
猿たちが狂乱のうちに滅びさりゆき
夕飯の魚の骨がゴミ箱で身をよじる

ふと、目を覚ました早朝に冷え切った
原始の海はとても静かで糸も揺れない
指先で海を掬い舐めとれば瞬きの内に
僕のなかで四十億年が過ぎ去り血潮が
静かに海鳴りする、卓上の海は静かだ

あまりにも海から離れてしまった
もう後戻りは出来はしないから
四〇億年前の海を窓から降らせた








自由詩 台所の海 Copyright 帆場蔵人 2019-10-29 18:13:00縦
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