車窓 ( SS)
山人

 ふと外を見ると駅であった。駅名が何も書かれていない停車駅だが、アナウンスは15分の待ちがあるという。ホームの売店でタバコを買おうと表に出てみた。
駅の近くには小さな家々が立ち並び、老人が自転車にまたがっているのが見える。季節はずれの鯉のぼりが夏の風に揺られ、のどかに泳いでいる。
駅名のない駅・・なんですよ、ここ。と売店の係員が言う。ありえないでしょう?と聞くと、普通そうですよね。とにこやかにレシートとつりをくれた。
老婆がしきりに自販機の商品の吐き出し口を眺めている。どうしたんですか?というと、うまくとれない、という。缶コーヒーが縦になり挟まっているためで、爪を使ってとってあげた。お礼にとそのコーヒーをいただいた。
駅名のない駅のホームでは、特別変わったことなど何もなかった。普通の景色があり、老いた人や、働く婦人、試験勉強でテキストを眺める女子高生、普通に働く駅員など、名のない駅ということを誰も意識していないようだった。
郊外のとある駅の電車は、まだ出発時間を待っていた。ふたたび椅子に腰掛けて、老婆からもらった缶コーヒーのプルトップを開ける。固いプルトップだった。老婆の力であけることが出来るのだろうか、きっと近くの人にお願いしてあけてもらっているに違いない、そう思った。

*

 私は本を読んでいる。わりと本を読むのは好きだったが、最近、もう20年近くだろうかまともな本を読んでいなかったことに気づく。その本は特に差し迫られて読むべき本でもなかったのだが、ただ、読んでおきたい内容でもあった。割と苦手な歴史物だ。きちんと椅子に腰掛けてテーブルを前に読んでいるわけでもなく、ルーズに解放された格好で読んでいる。
幕末の武士が志を持ち、世を立て直そうとする物語であり、主人公の律儀な頑なさが滑稽に写るものの、読ませる本ではある。
 遠く吉原の方角に火の粉が上がる頃、佐吉は・・・
目が疲れてきて老眼鏡をかけたまま仰向けに寝転がる。眼鏡を外し、目を閉じる。
 
*
 ふと、私はまた、電車に揺られていた。先ほど老婆がくれた缶コーヒーのプルトップを開けたのだった。昔のプルトップは缶から分離したが、今は一体化したまま缶の内側に折り曲がる仕組みとなっている。すると最後のコーヒーの一滴はプルトップの裏側に付着したままではないのだろうか?つまらないことだが、もしかしたら誰もが同じことを考ているのではないだろうか?くだらない発想だったが、そういったつまらないことが、色んな多くの事象を変えてきたのではあるまいか。
 愛想のいい、売店の係員から買ったタバコのパッケージを開ける。ひさびさのタバコだ。11年ぶりだろうか?ふと疑問が湧いてきた。冷静に考えてみれば、タバコを断ち、永遠にタバコを吸わないと誓ったはずであり、その自分がこのように気軽に売店からタバコを買うはずはない、これは夢だ。そもそも名もない駅なんて言うのがあろうはずがない。
現実とはなんなんだろう?もしかしたら、缶コーヒーのプルトップに残された一滴のコーヒーの液体が、その積み重ねが未来をつくるのではあるまいか。
車窓に置かれた缶コーヒーの空き缶をふたたび逆さにし、残った液体をすすりこむ。甘さとほろ苦さとミルクの香りがまさに缶コーヒーの味だった。
タバコを咥える。しかし、吸っていないのだからライターなどないはずだ。唾液のついたままフィルターを咥え、擬似喫煙する。まさにこれが煙であれば、11年ぶりの煙が津波のように肺に押し寄せ、そこに棲む膨大な細胞群たちはおののき、のた打ち回るだろう。
 ふと、アナウンスが聞こえてきた。15分の待ち時間は終了し、ふたたび出発するのだという。きっと未だ長い旅なのだろう。今度はぜひ名前のある駅になっていて欲しい。私はそう思い眠りにおちていったのだ。






散文(批評随筆小説等) 車窓 ( SS) Copyright 山人 2019-09-21 05:59:39
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