夜笛
la_feminite_nue(死に巫女)

 夜笛は声なき者の声を聞き届けるのだという。つまり、夜笛を奏する者は、声なき精霊の声を耳にすることができるのだ。夜笛は月の光によって作られているという。それは、下弦の月がわずかに傾いた時に得られる、月の光の雫の結晶だ。声なき者の声とは、宵闇に打ち沈んでいくすべての心映えだ。そこには怨嗟の想いもあり、憧れや怒りも含められている。精霊とは、一種の天の声なのだろうか。天とは人の集まりのことだろうか。夜笛には様々な想いが宿り、十色の心が散りばめられる。夜笛が現れるのは、幽玄の夜と決まっている。カキツバタの咲く野に、奇跡のようにふいに現れるのだ。夜笛を手にすることは誰にでも出来るものではない、私は夜笛を未だ持っていない。。カキツバタの咲く野には、夜笛を受け止めるための何かがあるのだろう。かつてから今まで、夜笛は幻の存在だった。夜笛を手にした者も、あるいは狂気に憑かれ、夜ごとに薄闇のなかをさまようことになる。夜笛の奏でる幻樂は、危険な音色なのだろうか。静かな狂気に包まれたものなのか。夜笛の響きは人の心を安らかに包み、眠りに誘うような静穏をもたらしてくれる。……夜笛は一種の奇跡なのだろう、あるいは人という連なりのもたらす血の言伝だ。ある宵にふいに訪れた夜笛は、ある暁に忽然と消え失せる。一瞬のはかない夢。夜笛は、それ自体が幻のように、人から人の手を渡り歩く、それ自体が生命を持っているかのように。かの笛の音色を聞いた者は、かすかな幸福感に包まれたまま、人としてのその姿を失っていく。人という枷から逃れた時に、彼らもまた精霊の一種となるのだろう。生きるということは賭けのようなものだから、雲間に煌めく一瞬の光は、はかない月の祈りそのもののようでもある。明滅する魂の閃光。夜笛は、それ自体が一つの謎として、カキツバタの咲く野に今も現れることを待っている。


自由詩 夜笛 Copyright la_feminite_nue(死に巫女) 2019-09-10 14:41:10
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