おびえる
新染因循
踏みあった影はうねりを繰りかえし
大蛇のようにわたしを睨めている
これが雑踏という生物だ
身を縮めて隠れるほかない
だが一歩たりとも動かぬように
語ることを好まなかった父は
静かなところへと旅立っていった
名があったかさえわからぬ山は
ただ小さく葉の陰を落とすばかり
眩むような夏の暑さのなかで
もはや白百合とは呼べぬ花束を掴み
そっとビニール袋に隠した
ぬるい風が吹いていた
それは黒々とした湿りを舐めつくし
狂女の髪のようにゆれていた
昼に浮かぶ星雲のような声音で
蜉蝣のように、おんなが問う
<空の青さに恥じない人生だった?>
墓標のいくらかは苔生し
太陽は無邪気に首をかしげていた
街へともどる道は急峻で、
地平は鋭利に太陽を反射している
今すぐにでもクラクションを壊してやろうと思った
街灯は羽虫の悲鳴にかげり
家は貝のように閉ざされている
そこには美しく育まれる肉体がある
そしてアスファルトの黒々とした窪みから
渇ききった命は手を伸ばしている
だがもはや、風が吹くことなどあるまい
自由詩
おびえる
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新染因循
2019-09-08 16:45:44縦