さよならは口にしないで
こたきひろし

私にだって17歳は存在した。
当事、私の通学していた高等学校は丘の上にあった。
校舎は周囲を自然樹林にかこまれていたから平坦な場所からその姿を見る事は困難だった。
残念ながら成績優秀な子供らが目指す高校ではなかった。県立の高校ではあったが、いわばその地域のこぼれた玉を拾って集める役目を担っていた。
程度の低い学校には相応の学生たちがその磁力に引き寄せられてしまうのか。
学校とそこに在籍する生徒たちはけして評判が良くはなかった。
一年の終わりあたりから素行が悪くなり二年になる頃には非行に走る傾向が目立っていた。
一個が腐ると周りも感化されて増殖していくという法則にしたがって、腐敗に感染してしまうのだろう。十代の若年にはそれに逆らって自分を正常に保もてないから、どうしても弱さの方向に傾いてしまうに違いない。
そこに学生たちの低い品質が加味されるのだから、流れが悪い方向に向かうの自然だったんだろう。
勿論それは全体図ではなく、青春に高いこころざしを持ち、自分を見失わずに品行方正を貫く者たちも少なからずいたのは確かだった。

それは、しいて言うなら腐ってしまった蜜柑と腐るまいとする蜜柑のせめぎあいかもしれなかった。

クラスメートの滝田君がバイクで自爆して亡くなったのは二年生になって間もなかった。
果たして滝田君が既に腐ってしまった蜜柑と一緒になっていたかはわからなかった。

学校は公共交通が不便な場所にあった。バスが通るには通っていたがそのルートは限定されていたし、便数もけして多くはなかったから、恵まれた生徒しか利用出来なかった。
だから遠方から通学するには女子も男子も自転車かバイクしかなかったのだ
とは言うものの、免許を取れるのは十六からだから一年生は自転車で通うしか方法はなかった。
通学路は大半が山のなかで勾配が多くかなりきついものだったから、二年になると皆がこぞって免許を習得して親にバイクを買って貰った。

滝田君がどういう事故を起こしたかは分からなかったが。即死したのは確かだった。
彼の自宅も周りを田んぼと畑と山に囲まれていた。
山際に家があって、自宅葬儀には全校生徒が召集された。その為にバスが何台かチャーターされた。事が事だけに参加を断る者はいなかったと思う。
県道から滝田君の家に繋がる道は狭くてその道を延々と男女の学生服が流れた。

滝田君は背が高く細身で色白の美少年だった。女生徒の間で好感度が高く、恋心を抱く女子は少なからずいた。
そのせいか、あちらこちらで嗚咽する女子の姿が見受けられた。
私。横川弘美もその内の一人だった。
滝田君は私が初めて好きになった男の子だった。
その想いを一度も告げられないままに滝田君は旅立ってしまったのだ。

切ない初恋の幕切れは突然やって来てしまった。
私が17歳になって間もない春に。
そして、その春に私はけして腐った蜜柑にはなってはいなかったと記憶している。


散文(批評随筆小説等) さよならは口にしないで Copyright こたきひろし 2019-09-08 07:38:25
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