メモ
はるな


鍋や木べらはあらかじめだしておくこと。もうだめってくらいにはりつめた茄子やトマトを刻んだそばから鍋に放ってすぐ火にかけてしまうので。近頃の味付けは簡単で、肉を入れるなら塩だけで、野菜だけの煮込みならスープのもとを入れてしまう。それでぼおっとしていると経ってしまう40分間、鍋の側では嫌なことはそんなにたくさんは思わない。
はんたいなのはむすめを保育園に置いて職場までを歩きだすときで、間違えてきたことばかりを思い出している。バス通りを邪魔する路上駐車、木の葉でみえない道路標識、シャッターのしまった寿司屋。どれにだって物語がはりついていて、それをあまさず拾ってしまう。
秋の花になってきましたね。とご婦人が言う。ほんとにそうですね、そうですねえ、とわたしは返すのだ。りんどうはむしろ夏の名残、燃えるような鶏頭、かさかさした葉っぱのワイルドフラワーの色色、へなへなとやさしいこすもすの葉っぱ、われもこうはもう売れちゃいました。夏のおわるころから、あたらしい花屋に居て、やっぱり花を切ったり折ったり、黒いバケツを洗ったりして過ごしている。ここでは、ガラスのかびんもたくさんつかう。壁際に野菜のたねや肥料、植木鉢カバーなんかはあたりまえだとしても、なにに使うかわからない可愛らしい動物の置物もたくさん売っている。このあいだ足もとから天井まである棚にのったそれらをぜんぶ拭きあげてみた、埃とりのクロスは二枚が灰色になってしまった。ゆびも、てのひらも。寝そべってるみたいなねこやうさぎ、手のひらにのるくまが抱えている小さな植木鉢。わたしはそこに枯れかかっている多肉植物をいれて、水を吹いたよ。
ところで鍋のなかでぐったりと得体をなくした野菜たち、それをさらに潰すように混ぜ返し熱気を浴びるとき、やっぱり嫌なことはおもいださない。冷蔵庫の中身とか、かばんのそこのレシートを捨てなければとか、実用的な思考が混ぜ返されている。木のへらでぐいっと持ち上げると鍋底が見えるのでもう火を消して、かなしいニュースは見ない、自転車のかぎを持ってむすめをひろいあげに行きます。
こんどのまちには人がたくさん住んでいるので、音もたくさんにある。窓や壁もべらぼうにありながら、草木だって静かじゃない。



散文(批評随筆小説等) メモ Copyright はるな 2019-09-04 17:10:26
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