夏の終わり
帆場蔵人

春、の終わりにとらなかった電話の着信音が夏の終わりに鳴り響いている。とても静かな夜、足音も誰かの寝息もブレーキを踏む悲鳴もふいに止んで着信音が何処かで鳴っている。トイレに座って狭い場所で口から漏れるのはぼくだけの声。ハンドソープの泡が消えていく。ベランダは緩く湿気た空気に満たされてうみのなかみたいで言葉は泡になるから黙っていよう。

人魚姫は言葉でした。

うみのなかでは言葉はいらないから言葉を知ってしまった彼女は陸で生きなければならなくなり、言葉になり、秘密が秘密でなくなったとき、彼女は泡になってうみでもりくでもないところへゆきました。だれもだれもしらないところへ。ひとひらの雪の子だけがそれを知っていますが、雪の子はしんしんと口を閉ざして、降り積もるだけです。秋に落ちた葉のうえをあるいた春は行方知れずできっとあの竹林でぶらぶらゆられています。あれは泡になるまえの言葉たちです。

着信音の陰に言葉が隠れている。夏の終わりを数えていると煙草の灰があかあかとしながら夜に落ちていく。ベランダの手すりに立ってぶらぶらゆれて(着信音は縄の軋み)首釣り台から笑ってみせる、なんて歌っていたお前は竹林でぶらぶらしてる。もうすっかり景色に馴染んだお前の眼はただの鏡だから、ぼくはぼくに怯えているだけだからもう言葉にして泡に変えてやるべきだ。そのとき着信音は言葉に変換されていくのだろう。そしてすべて泡と記す。


自由詩 夏の終わり Copyright 帆場蔵人 2019-08-28 13:10:13
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