"数"としての国民
一輪車

日本は十年以内に中韓の傀儡政権になるでしょうね。もうなっているとおもいます。そのような流れを日本の大企業が否定しないのは人間を「数」としてしかみていないからでしょう。大企業や政治家にとってはこの国が中韓の傀儡政権になっても、まったく問題がない。企業の製品を購買してくれるのは「日本人」という色彩をもった人間ではなくとも、カネを払う存在であればだれでもいいからです。日本人だろうが中国人だろうが数が多ければ多いほどよい。そして人口が減少している我が国は大企業にとって恐怖なわけです。だからどんどん中国人だろうが韓国人だろうがこの国に入れろ、なんなら傀儡政権になってもいいという短絡的な思考になっている。終戦後から三十年ほどのあいだは大企業や霞が関にも、国民国家という思想が息づいていた。戦争に負けて、その後の荒廃した国家を、みなでともに手をとりあいこの国を再建してきましたからね。しかし、どんどんそのような、日本人と日本のための国家という幻想が崩れた。それは歌謡曲の衰退にあらわれている。美空ひばりの死がその象徴でしょう。日本人なんかもういらない。とにかく「数」だということになり、移民をどんどんやりはじめた。この十年でわずか十万ほどしかいなかった在日中国人は100万を超えた。自民党の企画によると日本人の1割が中国人になるように想定されている。在日中国人を1000万受け入れるつもりだ。この1000万人の中国人が日本で買い物をすればいいのだが、日本で稼ぐだけ稼いですべて本国に送金すればどうなるだろう。もちろん1000万もの中国人に地方参政権を付与する運動が起こるだろう。ただでさえ韓国の息のかかった地方行政府にどんどん日韓の首長が誕生する。あとさき考えずに短絡的な思考しかできない受験脳官僚や大企業の三代目、それに議員手当だけが目当ての政治家たちがこの国を滅ぼす。


散文(批評随筆小説等) "数"としての国民 Copyright 一輪車 2019-08-18 14:09:03
notebook Home 戻る  過去 未来