ゴシック的断片
佐々宝砂

お姉さま。
この館に逗留してまだ一ヶ月足らずですが、
私はもうお姉さまとの暮らしを恋しく思っております。
お父さまはたいへんお優しいのに、お兄さまは恐ろしい。
いつも地下に引きこもっていらして、
ときどき顔をお見せになると、
それはそれは沈鬱なお顔をなさって、
イザベラ、お前はなんと哀れな!と力弱くお叫びになります。
それからお父さまに向かって、
凄惨ににやりとお笑いになるのです。
愛しいお姉さま、あなたのお力と勇気をお貸し下さいまし。
あなたのイザベラは恐怖におののいております。

 若き修道女は手紙を受け取り石の寝台に坐る。
 爪を噛む癖が戻っている。

医師ベックフォードによる所見。
患者は十九歳の女性、未婚。
発作は幼児期から見られたが十二歳でいったん快癒し、
十九歳になってから発作が再開した。
発作前兆期には体液貯留が見られ、
患者は視野右側の視覚異常と被帽感を訴える。
発作がはじまると顔面は蒼白となり呼吸は浅く荒くなり、
唇に強いしびれと錯感覚が生じ激しい頭痛がはじまる。
頭痛は三時間ほど持続する。
発作終息期には体液の放出が甚だしい。
嘔吐、大量の薄い尿の排泄、流涙、流涎、下痢ののち、
しつこい不自然な眠気が襲い、患者は昏睡に近い眠りに落ちる。
発作は周期的なヒステリー性のものと推測され、
蛭によって胆汁質の体液を抜く治療が有効と考えられるが、
家族の同意が得られぬため治療は断念。

 早朝のミサもまだ始まらぬ空は全き闇。
 修道女の背は小刻みに震える。

館の地下室にある覚え書きからの抜粋。
"彼"を隠匿された場所より呼び出すために必要なもの。
ひとつ、水晶(新月に聖水で洗っておくこと)。
ひとつ、"彼"の肖像画。
ひとつ、緻密に慎重に描かれた魔法陣。
ひとつ、トネリコの枝で燻した白布。
ひとつ、処女の血を満たしたヴェネツィアン・グラス。

 若き修道女は賛美歌を歌う。
 すべて逆さまな世界を逆さまな言葉で讃美して。

愛しいイザベラ。
昨夜私が語ったことは嘘ではない。
君はこの館にいるべきひとではない。
どうか私を信じて私とともにきてほしい。
君の病のことなら恥ずかしく思う必要はない。
気にする必要もない。私は医師だ。
君のお父上と兄上の病は医学では治せぬが、
君の病は私が治してみせる。
愛しいイザベラ、
この世のものとも思われぬ儚いイザベラ、
愛と信仰こそは最上の医薬ではないか?

 修道女は手紙を破り去る。
 それは明日ひそかに竈で焼かれるだろう。

ええ。あの夜は凄まじい騒ぎでございました。
けれど館がすっかり燃え尽きるまで、
誰も気づかなかったんでございます。
私どもが気がつきましたとき館はもう黒い煙をあげるばかりで、
門柱のそばに伯爵さまと若さまが倒れていらっしゃいました。
それからイザベラさまのお姿は見えず、
ベックフォードさまは、ほら、あのとおり、
すっかり赤ん坊にかえってしまわれました。

 修道女は微笑んで妹を迎える。
 痛みに耐えいまや"彼"を虜にした美しいイザベラを。


自由詩 ゴシック的断片 Copyright 佐々宝砂 2019-08-09 19:38:43
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