次郎狸
北村 守通

むかし、むかぁし

ある山に与一郎という木こりが住んでいた。
さびしい森の中に家を建て、家族もなく一人で暮らしていた。
ある日のこと。与一郎が仕事を終えて山を下っていると。一匹の若い狸が道にうずくまっていた。狸は与一郎を見ると、慌てて立ち上がろうとしたが、すぐにその場にへたりこんでしまった。どうやら怪我をしているらしい。近寄って覗きこんでみると、何かの獣に襲われたのか体中が傷だらけであった。狸は弱り切ってしまっているのか、もう立ち上がる気配もなく、ただ目をうるませながら与一郎のことをじっと見上げているだけだった。不憫に思った与一郎はその狸を家に連れて帰って手当をしてやることにした。

「怖がることはない。さ・・・」

与一郎は狸を怖がらせないようにやさしくそっと抱きかかえた。与一郎の気持ちが伝わったのか、狸はすっかり安心した様子で与一郎の腕におさまった。
家に連れ帰られた狸は、慣れない場所に最初はぶるぶると震えていたが、しだいに打ち解けていき、怪我が治る頃には一人と一匹はすっかり仲良くなっていた。

そういったわけで、山に戻してやってからもこの狸はたびたび与一郎の家に遊びにくるようになった。与一郎にとって、さびしい山の中のくらしで初めてできた友達だった。いつしか与一郎は毎晩必ず狸のために晩飯を用意してやるようになっていた。そして今日一日の出来事、楽しかったことやうれしかったこと悲しかったこと、なんでも話して過ごすのが日課となった。

「そうじゃ、お前に名前をつけてやろう。わしは与一郎じゃから・・・お前は・・・次郎!次郎でどうじゃ?」
狸は自分の名前が気に入ったのか与一郎の前をくるくるくるくる、それは嬉しそうに走り回った。その様子を見て与一郎もたいそう喜んだ。

 与一郎が次郎と出会ってから半年も経ったある日。

 いつものように次郎を見送ってさぁ、寝ようかと思っていたときだった。

 コンコンコン・・・コンコンコン・・・

 誰かが戸を叩く音がする。こんな時刻にどうしたものか、と思っていると

「こんばんは。すみません。どなたかいらっしゃいませんでしょうか?」
と女の声がするではないか。
急いで戸を開けてみると。そこには色白の美しい娘が一人震えながら立っていた。

「いかがなさいましたかな?」
「旅の者でございますが、道に迷ってあちこち彷徨っているうちに日が暮れてしまいました。どうしたものかと心細く思っておりましたら、こちらの灯りが見えましたので、それをたよりにここまで来させていただいた次第です。お願いです。どんな場所でも構いません。一晩泊めていただけないでしょうか?」
「うちは物置みたいな場所で、本当に雨風がしのげるだけのようなもんですけんど、そんな場所でも構いませんかな。」
「いえ、本当にどんな場所でも構いません。土間をお借りするだけでも結構です。お願いします。」

こんなさびしい山の中、ましてや夜にか弱い娘を外に放り出すこともできず、与一郎は娘を家にあげてやった。

「明日、朝一番に道を案内して差し上げましょう。ごらんの通りなにもございませんが、今日はどうぞこちらでゆっくりお休みください。」

そして自分は土間にござを敷き、娘に背を向けてごろんと寝転がった。

「ありがとうございます。ありがとうございます。」

娘は何度も礼を言った。が、やがてたまっていた疲れがどっと出たのか、ぐったりと横になるとすやすやと眠り始めた。

「かわいそうに、さぞかし怖かったんじゃろうなぁ」

そうして与一郎も眠りについた。


それから
どのくらい経っただろうか?
ぐっすりと眠っていたはずの娘がむっくと起き上がると。その体はどんどん伸びてゆき、やがては天井にまで届かんばかりとなった。口はぱっくりと耳元まで裂け、愛らしかった目はみるみる吊り上がり怪しい光を放つようになっていた。そして開いた口から長い舌を伸ばすとそれが動くたびにシュルシュルと怪しい音をたてた。
 異様な気配を感じ取ったか、与一郎はなんとはなしに目が覚めた。そのとき与一郎が目にしたのは。大蛇のような化け物と化した娘がくわっと大きく口を開けて今にも自分にとびかからんとする姿であった。
「ひやぁっ!」
声にもならない悲鳴がのど元までこみあげたそのとき。
ズドン!と雨戸が吹き飛ばされるとそこから黒い塊が飛びこんで来て化け物にぶつかっていった。不意をつかれた化け物は大きくのけぞった。黒い塊はむくむくと大きくなるとやがて真っ黒な大入道に変化していった。
「グワォン!」
と大入道が太く鈍い咆哮をあげた。真っ黒な頭の中に真っ赤な大きな口が開いた。
 怒った化け物が大入道に襲いかかった。大入道も負けじと化け物をたたきつけた。二匹は一進一退を繰り返しながら激しく戦い続けたが、ついに大入道の大きな口が化け物の喉笛に噛みついた。
化け物は悲鳴をあげ、苦しみ、のたうち回った。やがて最後の力を振り絞って大入道を引きはがすと壁を破って外に転がり出た。それを見届けた入道も、その場にばたりと倒れ込んだ。そして大きな体がみるみるしぼんでいった。

 与一郎がおそるおそる外に出てみると。
 先ほど化け物が出ていったところに喉元を食いちぎられた白い大蛇の死骸が転がっておった。
 そして家に戻ってみると。
 大入道が倒れ込んだあたりには力尽きた一匹の若い狸が横たわっていた。
「次郎・・・」
けれども次郎が与一郎の呼びかけに応えることはなかった。

翌日。与一郎は次郎も大蛇も手厚く葬ってやった。与一郎はそれからも山を下りることはなく、一人で木を伐り続けた。いつまでもいつまでも一人で木を伐り続けた。山には与一郎が斧をふるう音がいつまでもいつまでも響いていた。


散文(批評随筆小説等) 次郎狸 Copyright 北村 守通 2019-08-08 01:01:43縦
notebook Home 戻る  過去 未来