ケロイドのような思春期を纏って
ホロウ・シカエルボク

思考が樹氷になるのではないかと危ぶまれてしまうほどの凍てついた夜の記憶が、どっちつかずの六月の夜に蘇るパラドクス、同じころに叩き潰したしたり顔の羽虫の死体は気付かぬうちにカラカラに渇いていた、艶加工された安価のテーブルの上でもう土にも還れない、大量生産の極みのような薄っぺらい紙に包まれてダストボックスに投げ込まれ、同じような運命を背負わされた仲間がたくさん居るだろう処理場への便をただ待っている、それを人生の縮図だなんて例えてみるのは簡単だけれど…今夜は不思議なほどに往来を行き来するものが少ない、先の週末の夜が奇妙なほど賑やかだったせいでそんな風に感じるのかもしれない、スケールは簡単に伸びたり曲がったりしてしまう、比較対象がないので変形に気づけない、そんな誤差を抱え続けたまま生きたものの真実は肥大し過ぎた宗教団体が唱えるお題目のようなものになってしまう、祈りに指針を設けてはならない、真っ直ぐ進もうと意識すれば、足取りは乱れてしまうものだ―思考は行動を補佐するものだ、思考から先に動いてしまっては本末転倒というものだ、頭でっかちというのはそういうことだ、歩き続けた先でたまに居所を確認するための地図のようなものだ、もっとも、それにはマーカーなど記されてはいないし、新しく記すことも出来ないけれども…白紙のページが静かに降り積もり続けるような時間だ、新雪に埋もれるように俺はそこに横たわっている、生者の中でもっともカタコンベに近付けるのはこの俺だ、それには多重的な意味があり、誇りのようでもあれば自嘲的でもあり、あるいはその両極の間に含まれるすべての感覚が含まれている、本当の詩を言葉で表そうとしてはいけない、それが真理なら音楽は楽譜を見るだけでいいということになってしまう、俺の言ってること判るかい、言葉は楽譜だ、詩はボーカリゼイションなんだ、あるいは様々な楽器のプレイだ…それは技能で語られてはいけないが、感情だけが特出していてもいけない、高い温度か低い温度かどちらかだけではいけない、おそらくそれは一番変動し続けているものになるだろう、それは定まらないままに定義されなくてはならない、旋律の云々や、歌唱の云々、演奏の云々だけで語られるものであってはいけない、どこか一部にフォーカスを定めてしまうのは真剣なだけの愚か者がすることだ、それはトータルで語られなくてはならない、トータルで受け止められなければならない、見知った誰かを新しく知ろうとするみたいに検分されなくてはならない、自分以外の個体を自分が決定することにはまるで意味がない、それは解答を得るための行為であってはならない、すべては当たり前に起こる現象に過ぎない、ほら、先に言った通り―動いてはいけないものから動いてしまうとすべては有耶無耶のうちに終わってしまう、結論は賢者の手段ではない…そんな解答欄には必ず斜線が引かれてしまうだろう―梅雨時の湿気は容赦なくまとわりついて来る、縦長の俺の家ではエアコンの恩恵はかろうじて感じることが出来るくらいだ、だけどそれぐらいの環境でないと、体温は正常ではいられない、判るだろう?アンテナを意識することだ、受信している情報がひとつだけだなんて考えないことだよ、一局しか受信しないラジオなんて見たことあるかい?俺が言ってるのはそういうことさ…ヘリのローターのようなアイドリングをしているバイク、あれはそこそこ大きいやつだろう、アクセルを吹かせば走り出せる、でも、それはやつがそういうシステムを構築されているせいだ、俺たちはアクセルを持つべきではない、あるいはアクセルがあることを過信してはならない、スピードスターのつもりで暴走車に成り下がってるやつなんてごまんといる、俺はアクセルを緩める…愚かしいものを身をもって知るために思春期が用意されている、でも俺はその機会を存分に生かすことは出来なかった、俺は愚かになれなかった、そういえばこれまでずっとそうだった、俺には自分以外に崇めるものがいなかった、これは自惚れではない、それがつまり指針というものだ、俺の指針は俺の邪魔など決してしなかった、俺にはどんな信心もないが、神を知っているし、祈ることも出来る、それは俺が俺自身から始まっているからだ、俺自身は他のものであったことがないからだ、そこには様々な理由があるだろう、意識的なものもあるし、無意識的なものもあるだろう、けれどそれが俺自身というものに集約されたわけは、俺がなにも見失わなかったせいなのだ、テーブルが天井灯を跳ね返している、その跳弾は銃口へ返る、俺はその間抜けな銃口を見上げる―白色電灯しか選べない理由がこんな夜の中には落ちているはずなのだ。



自由詩 ケロイドのような思春期を纏って Copyright ホロウ・シカエルボク 2019-06-24 23:15:34
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