詩学/詩の在り処(ありか)2
足立らどみ

さて、夏至も過ぎたので、
一読者として詩学を書いてみます。

ネットの中の詩とは何かについて答えが出た感じで、
ダラダラと

以前、予言や予知について触れたけど、
今回は、閃きから、選択、束縛、提示、そして罪深い詩人について
語りたい。

閃き(インスピレーション)

閃きは、たぶん、誰もが有していると思う。
閃きは、文字そのものではなく、もっと奥からの光なのだろう。

ネット詩の世界でも、それぞれの頭に浮かんだ閃きがあるけど、
ネット詩の世界は、情報が速すぎて多過ぎるから、出てくる
「文字」を瞬時に判断して読んでしまいがちだ。結果として、
お金を払って買うわけでもないので品質は無視して(メイドインxx)
その文字を字ヅラから平等に見てしまう傾向にあると感じるけど、
その悪平等が、問題なのだろう。

だから、ついつい、勘違いなさってしまう。

詩の勉強を始めたばかりの若人(年齢や年月ではなくて)は、
悪平等とは言いがかりだと間接的に文字を残すのだろうけど、
文句言う前に、その方は、基礎力つけてから再度戻ってきて
意味するとこを理解して欲しい(その才能が錆びつく前にね)。

究極な言い方をしてきたけど、大切なのは、字ヅラではないから

例えば、どれでも良いけど、若干名の人が「パン」という文字を閃いた。

1「パン」だけを見る、即ち字ヅラだけを読むと、閃きの過程や深さが
分からない。コピペして少し変えて「ハン」としているかもしれないが、
字ヅラからは分からない。

2結局のところ、ネット詩の中では、本来の詩作品、才能云々ではなく、
なんもなく、薄っぺらなまま、先出しで出した創作者君が、仕方なく、
閃きの勝ち名乗り?をあげてしまうことになりがち

くだらない。はっきり言って譲れない。そこは無意味なルールだ。

平成の頃の現フォの過去ログでも、真剣に、この閃きの後出し先出しの
事を書いているログがあった。
旬な言葉を先出しだ、後出しだ、同時だ、だから、友だちだというのは
ハッピーアイスクリーム過ぎて飽き飽きしている。ゲロって糞食らえだ
旬な言葉なんて、歳時記を読めば、ごまんごまんとあるでしょう

私達は、イビツで独り善がりな解説書なんて誰も読みたくないはず
咀嚼しきって、せめて、ナウシカの腐海の森の地下の水が飲めるくらい、
咀嚼し終えた後の作品が読みたいんだ。

先日、南武線(NAMBU)の中で、レモンの手榴弾のピンを抜いて、爆発
させようとした帽子を被った狂信者を阻止するために、ハーン巡査がそれ
を抜いてロシアンルーレットをはじめて拘束された夢をみたけど、これも
単なる閃きの一つで、大切なことは、後出しでも先出しでもなくて、
貴方の心に小さく響くかどうかなのだと思うのだけど、功夫が足りない。
分からない人は、一生分からないので、
屁が出るーくらい、つまらなすぎる週末だつた。終わり。

、、、私の別号、汗(ace)、カン、ハンで、自分の命を守つているんだ。
私の場合は、愚者の自分のことしか、守れなかつた、何もできず、
つまらない大人になってしまったけど、若くて、ガサツな人達よ、
詩の才能がないのは既に決定事項なのだから、作文書いている暇あるなら、
余裕があるんだろから、その若さを武器に、ほんのもう少しは、弱い人を
守れるくらい賢くなって欲しい。


選択、束縛、提示

文字そのものには時間は存在しないという持論から、
作者達がそれぞれに旬な言葉を心の中で見つけた言葉が同じだったとして、
多少の先出し後出しは、大差ないと思う。
但し、先出しの文字を見てしまった上で性悪なガサツな文字を
ベトベトのまま、敬意のかけらもなく先達詩人達に見せるということは、
ちゃんと堂々と説明責任を負わないと最初からゼロに等しかった取るに
足らない信頼すら失う。
かつ、普通に、閃きの勝ち名乗り?をあげてしまうネット詩人の正論の
ルール(ツンデレも含めて)すら否定するのだから、作文ではないのだと、
(頭の中でのコピペ含んだ)、其れなりの覚悟をしないといけないのでしょう。

さて、心に浮かぶ閃きは時間の概念が張り付いていない、過去と今と未来
が一緒の坩堝に入った闇鍋の中から取り出すことだという立場から、元々、
多少の過去と未来も混じっているはずで、それも詩の要素の一つ
でしかないという自論を展開していますが、
(勿論、時間概念を支配?することは、有無の言えない強い自然でもあり、
ある種の人達にとっては魅惑の源泉であるのかもしれないけど)、
あれのことかと、最初からわかる詩人には、当たり前すぎてどうでも
良いことだと思う(起点なんてケセラセラだよ)。

むしろ、閃いた沢山の言葉の中から、どれとどれを選択するかを悩み、
書き手を含む読み手を如何に束縛していくかを悩み、いつ提示するかを
悩むことが大切だと思う。
実社会のルールが希薄な匿名性の高いネット社会の中で詩を自らの意志で、
誇らしく?掲載するからには、仰々しいかもしれないが、そのくらいの
綿密さが必要だ。

ネット詩の最後の最重要事項は、守りたい人を守るということなのだろう、
ネット詩人は、リアルタイムのライブの中で生活する現在詩人であり、
この世界では、詩の技法なんて後回しで、罠にかかっては有頂天な世界だ。

また、一方で、勿論、最終過程で、いかに相手の脳に自作品をオブラートに
包みこんで届けることが出来るかで苦心している優しい人達も居る(だいぶ遠いな)、
本来の詩に浸かって、ゆったりしている人も居ると媚びっておこう(まだ遠いな)。

最後に、罪深い詩人の罰を1人分も肩代わりするなんて、読み手側の一市民の
私としては、到底理解することすら無理、でも、知りたい。無理、でも、
過去に戻りたい、無理、でも、力ずくでも、過去に戻りたい、私も、
逃避行でもなんでもない、流せれるよりも、パワーのいる生き方なのだろうか、
無理、でも、安住の地に戻りたくて、みんなに会いたい。
みんなと会えたときは、一期一会を大切にしていきたい。

たぶん、そんなとこなんだと思う。

徹頭徹尾のつもりの私の文でも、これでも、まだ、ネット詩世界の期待通りに、
まだ、矛盾があるというのだろうか。


自由詩 詩学/詩の在り処(ありか)2 Copyright 足立らどみ 2019-06-24 20:21:57
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