文明論から「無」を語るに至る
マサヒロK

一般的な人間の進化論では、「道具」の発明によって人間は進歩し文明を築いた、ということになっていますが、私から言わせれば「言葉」によって人間の文明は発達した、という言い方もできると思います。
人間が全体の中から何かを取り出す。その何かに名前(言葉)を付ける。いろいろな物体に名前を付け、それを組み合わせて道具を作る。複雑なものを作ろうとすればするほどたくさんの名前・言葉が必要になってくる。言葉がなかったら何も取り出せないし何も作れない。言葉なしで何かを作る、部品を取り出す、原料を精製する、などというのは至難の業。できたとしても、膨大な時間がかかってしまうでしょう。
名前を付ける、というのは全体の中から何かを選択し、それを明確化、特殊化するということです。本来名前のないものに名前を付け、その特性を抽出し、使いやすい形にし、それを組み合わせ道具を作る。そして一度何かに名前を付けてしまったら、あとは能率的にそのものを取り出すことができます。言葉によって人間は、能率的な社会を作った。「選択」とは、「能率化」をも意味しています。
道具に限りません。人間とは、何か名前の付いたものを選択しそれをうまく組み合わせ、あらゆる状況に使っています。自分の気持ちさえも言葉で表現しています。適当な言葉がなかったら、既存の言葉を利用して、新たな言葉を作ればいいのです。実際、最初は数少なかった言葉も、それを派生させたり組み合わせたりして、膨大な数へと変化していきました。ネット社会の影響もあり、今後もより多くの言葉が生まれることでしょう。そして言葉の数だけ人類は複雑化するかもしれません。複雑化によってより微妙な事象が発見され定義され利用されていく。さらに文明は加速する。はたしてどこまで行くのか?
しかし、物理学は物体を徹底的に細分化し分析し、今や「無」の領域にまで踏み込もうとしている。膨大な言葉の細分化により、現代文明もいつかは物理学と同じように「無」の領域に近づくかもしれない!?いや、文明の発達を待たずとも、言葉を分析すれば結局は「無」の領域に気が付くかもしれない。なぜなら、本来名前のないものに人間が何らかの目的のために名前を付けただけの話なので、昔も今も「何も」存在しないかもしれない。
現代は物であふれている。しかしそれは何かが何かに形が変わっただけで、地球自体は質量的には何も変化していない。あなた自体も何も変わっていない。そうではないですか?


散文(批評随筆小説等) 文明論から「無」を語るに至る Copyright マサヒロK 2019-05-06 21:12:29
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