タイムマシンは実現できるのか?
マサヒロK

タイムマシンは実現できるのか、ということを考えて、考えを整理していたら、近頃「youtube
」で時々みかける「ブロック宇宙論」なるものと同じような展開になったので、どうしてそうなったか記してみたいと思います。

SF好きの人間ならだれでも「タイムマシン」は実現できるかどうかということは考えたことはあると思いますが、自分もよく考えたものですが、結論から言うと、それは実現できないと考えざるを得ない、というのが自分の最近の感覚です。
自分という人間を考えてみると、この世に生れて以来今この瞬間まで、自分という存在はずっと継続的に連続的に存在しているいわば「金太郎飴」のような存在であり、それは一度として途切れたことはない。途切れるということは、それは死を意味することでしかない。別の言い方をすれば、自分の肉体は、誕生して以来ずっと今も誕生し続けている、誕生の瞬間も今という瞬間もひとつに繋がったたった一つの時間であり、それ以外の時間などない。自分の体も一つしかない。物語で語られるタイムマシンというのは、「今」から自分を切り離し、それを過去や未来へ持っていくことだが、たった一つの時間とたった一つの肉体を切り離して、それを別の時空に持っていくことなどできるわけはない。自分も時間も空間も、分離不可能だから、というのが自分の今の考えです。
宇宙全体に話を広げても同様です。宇宙とは、誕生以来ずっと途切れることなく存在し、今もなお誕生の途上です。時間とは、宇宙が始まって以来ずっと継続的に存在している、ただ唯一の時間しか存在しません。過去・現在・未来というのは、人間の頭が作り出した単なる概念であり、時間というのは、宇宙の誕生以来ずっと続いているひと塊のブロックのようなものです。よく「時間が流れる」という表現を人間は使いますが、「流れる」という概念さえ間違っているかもしれません。「今」という瞬間にすべての時間が存在している、今という瞬間にしか時間は存在しない、と言ったらいいのでしょうか。100億年前も今も同時に存在している。今も我々は恐竜たちと同じ時を共有している。というより、宇宙誕生の時からずっと我々は存在しているのです。時間も空間もこの宇宙で一つだけ、我々もその全体に含まれる。この宇宙では、ちり一つ全体から分離はできない。ちり一つが全体に繋がっている。そして全体もちりに繋がっている。「全体」から自分を切り離して、それを別の時空に持っていく、その考え方そのものがそもそもの間違い。だからタイムマシンは実現しない、と考えているのですが、いかがでしょうか?
すべてでひとつの「全体」を切り離したりくっつけたりすることはできないのです。ひとつしか存在しえないものを、どうやって分離するのでしょうか?ということです。いやいや、「ひとつ」という概念さえ間違っているかもしれません。「ひとつ」というのは「多」に反する言葉であり、「多」が存在しなければ、「ひとつ」という言葉も存在しません。「ひとつ」という言葉でさえ説明できない宇宙をどうやって分割するのでしょうか?数の概念をも外れた現象を、ひとつとか二つとかに分けることができるでしょうか?言葉にとらわれていたら、大事なポイントを取り逃がします。
宇宙とは、言葉では表現できない何かがそこにある、としか言い得ない現象かもしれません。

※おまけ
一瞬で一億光年の彼方へ行き、一億光年先の惑星を見られる望遠鏡で地球を見たら、一億年前の地球が見られる(?)かも。


散文(批評随筆小説等) タイムマシンは実現できるのか? Copyright マサヒロK 2019-05-01 22:38:46
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