幽玄な神性について
ナンモナイデス


自分は日本語を話すこの地で生まれた。
この地で生きている人は生まれた
時代の《元号》を覚えている。
ただ単に誕生日を覚えるのに便利
ぐらいのことで知っている、自分
にとってはそんなもんであるけれど。

西洋哲学というのをなぜかうん十年
オシャブリの変わりに唇に咥え、
モグモグとエアー乳首のように、
知の乳が出ないものかとシャブリ
続けているのだけれども、甘い
乳が出たためしがない。
その原因はなんなのか、なんなのよォ・・・

たぶん、いいところになると大概、
《不在の神》とか《無限》とか、
とどのつまりは《外部》をヌケヌケ
と持ち出してくるわけです。
こういうのってズルイだけであって
マトモな話を不可能にする、
イイ避難所でしかないんですよネェ。

キョトツに記しますが、幸い自分の
生きてきた時代は《アラヒトガミ》
の君臨するヨではありませんでした。
《人間天皇》の時代でありました。
よって現在この国に君臨する神はいない。

自分は解釈はどうであれ国歌《キミガヨ》
には心の安らぐ思いがある。
(各スポーツの式典などに歌われるエンタ
メ化されたのは無論論外)

《コケノムスマデ》は単に自然観の喩え
などではなく、幽玄に捉えられた神性
なんだと思っている。西洋哲学の正体不
明を装うことしかできない神ではなく、
それとは見方の違ったカミなんだと思い
ます。厳かな神影とでもいいましょうか・・・
知では現前されることのない古の人々
の《ヨ》にたいする思いと言うのが、
なぜか現代に生きる我々にもスーっと
心に入ってくるんですね。
確かにそれは《思い違い》に過ぎない、
自分のね。それでも政治体制がどう変
わっても《キミガヨ》を歌うことが出
来る人々がいるならば古の人々と共に
歌っていることになるのではないだろ
うか・・・さっき幽玄と紀したのはまぁ
こういった事由でございます。

1000年以上もまえに生きて死んでいっ
た人々の心情はわかりません。
でも苔って今も石や岩で生しています。
あれって抹茶アイスのように観えること
もあったりして・・・




散文(批評随筆小説等) 幽玄な神性について Copyright ナンモナイデス 2019-04-29 21:38:04
notebook Home 戻る  過去 未来