香山リカせんせーを精神分析する
一輪車

たまたまネットで精神科医の香山リカせんせーが中指立てて「ヘイトデモ隊」に憎悪を剥き出している写真が載っているのをみてしまった。
https://www.google.com/search?q=%E9%A6%99%E5%B1%B1%E3%83%AA%E3%82%AB+%E4%B8%AD%E6%8C%87&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwi3lpKE3ZjgAhUKu7wKHYkGAB8Q_AUIDigB&biw=1280&bih=625

これは衝撃でした。
正直言うと、いくらジャーナルな知識人とはいえここまで劣化しているのかと愕然とした。
わたしが「在特会」のような在日ヘイトに関心がないといえども、その本質はある程度みぬいているつもりです。
香山せんせーはウィリアム・フォークナーやアースキン・コールドウェルの一冊も読んだことがないのでしょうか?
『タバコ・ロード』くらいは読んではどうか?
いや、読まなくともプワーホワイトについて考えたことはないのでしょうか?
「在日特権を許さない市民の会」のような心の動きは、じっさいには下部構造(主に経済的な環境の変動)に関係があるのでは?

一生懸命働いてもこの20年、所得はすこしも上がらないのに隣国の中国からは財布からはみださんばかりのカネをもった人たちが押し寄せて秋葉原やデパートで爆買いを繰り広げる。かの国には昨年2018年まで日本政府が毎年300億というODAを援助していた。
爆買いを続ける中国人のそのカネは日本人が汗水流したものである、ともいえる。ODAだけのことをいってるのではなく、世界的な資本還流の構造からも。
低所得層にとってそんな光景が面白いわけがない。とうぜん、「在特会」のような排斥感情は噴出しますよ。
あたりまえのはなしです。歴史をみても米国や欧州をみてもそうです。

このような国民感情を無効化したければ、グローバリズムに雪崩を打って偏っていった日本政府や経済界の本質的構造を見抜いてそれを批判することからはじめなければならない。
ところが香山リカせんせーやそのお仲間の国会議員有田芳生せんせーらは、トンチンカンにも安倍首相のたかだか「口利き疑惑」に二年近くも血道を上げている。
どうしてほんとうのほんとうにメスを入れないのか? そこからしか「在特会」の活動を沈静化させることはできないのに、社会現象の原因究明や構造的な本質の洞察を放棄して直接暴力に訴えている。

香山せんせーのツイッターやブログを読んでみましたが、
仰天しますた。
じぶんたちの信じる倫理道徳からみて「在特会」の人たちの発言が"悪"であり、"過激"であるから、かれらを暴力で報いるのは正義の行いとして正しいという。

か弱い女である香山リカせんせ~は、暴力を専門とするチンピラを先頭に立てて、「在特会」の過激発言を沈黙させるべく行動を開始された。
https://twitter.com/rkayama/status/698896092851630082?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E698896092851630082&ref_url=http%3A%2F%2Ftoriton.blog2.fc2.com%2Fblog-entry-4022.html

香山リカせんせ~が「組長」と呼ぶサングラスをかけた真ん中の男は自称、山口組組員であるとか。^^
https://twitter.com/aka6446/status/383544348211548160/photo/1

どんな言論であれ、それを沈黙させるために集団暴力を肯定してどうするのか?
どうもよくわからない。在特会の連中の行動や思想の是非はともかく、その根底に何があるかはよくわかる。
しかし、「しばき隊」を肯定するジャーナルな、自称リベラル知識人たちの発言や行動の本質が見えてこない。

ひょっとするとこれも知識人の経済基盤の変動と関係があるのじゃないだろうか。
心的分析理論を持ち出すまでもない。
要するにもう左右の時代じゃない。
左翼だの右翼だので世界をみてもなにもみえない。そういう立場に固執してもたんに政府や経済界の犯罪に加担するだけだ。
ということはサヨクリベラル知識人のおまんまの食い上げが差し迫っているということにもなる。
そういう状況に思想が柔軟に対応できないことへの苛立ちをわたしは香山リカせんせ~たちに感じる。
内田樹のお仲間の一党や辺見庸や大江健三郎、瀬戸内寂聴とかいう似非坊主ら、まとめてもはや粗大ゴミ化しようとしている時代の流れのなかで
かれらに、ファシズムにとりこまれようとしている自分の姿がどう映っているのか興味あるところだが、
まったく、
まったくじぶんの姿をみることがない方々のように思われれる。
これを日本の悲劇と呼ぶべきか喜劇と呼ぶべきか。

さてわたしが精神分析医だったら香山患者をどう診察するだろうか。
わたしが香山患者の写真をみてすぐに思ったことは、この手のジャーナルなシンポ的リベラル文化人に特有の「憎悪の快感」とでもいうべきものですかね。
辺見庸もそうだし内田樹もそうだが、なにかこの「劣った者を罵倒する快楽」というようなものに酔いしれている風がある。
(オマエガイウナヨといわれそうだが、わたしはいつもわたしより優秀な方々を罵倒してるからセーフ^^)
もっというとサヨク系リベラルの大好きな罵倒全般にその傾向があって、なぜかかれらは「絶対に間違っていない」のである。
べつの言葉でいうとかれらは「絶対に内省しない」のです。内省という機能がなぜか欠落している。そういう人がなぜかサヨク系リベラルとなる。それは「憎悪の快楽」に中毒しているからじゃないか?

「どうやらわれわれは、罰を受けるに値する人間が罰を受けることで、快感を得るようにできているらしい。」
https://wired.jp/2011/05/09/%E8%84%B3%E3%81%AF%E3%80%8C%E4%BB%96%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%BD%B0%E3%80%8D%E3%81%AB%E5%BF%AB%E6%84%9F%E3%82%92%E8%A6%9A%E3%81%88%E3%82%8B%EF%BC%9A%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%B5%90%E6%9E%9C/

香山せんせ~の主観にすぎない「悪い社会行動をとった」者たちへの暴力によるこらしめからくる快感は、どれほどの絶頂感をせんせーに与えてくれるのか知らないし興味もない。
関心があるのはどうして彼女彼らはそれに魅せられるのかだ。
辺見庸や内田樹や香山リカや宮台真司といったジャーナルな自称リベラルこそが、なぜ憎悪や呪詛を撒き散らすのかである。

「憎悪の快楽」に心なく酔いしれるためには道具立てが必要だ。
まずじぶんたちは絶対に正義であるという確信。それを保証してくれるための「社会的悪者」の存在。^^
そういう存在がいなければかれらはどこからでも拾ってきて無理にそういうものに仕立て上げる。
かつては橋下徹であり、いまは百田尚樹である。^^
橋下も百田も災難というしかないが、わたしの関心はかれらの心の動きがどこから来るかということだ。

おそらくかれらが憎悪する「在特会」の方々の心の動きと同じだろうと推測している。
かれらはお友達になれるメンタリティの持ち主じゃないかと。^^

そのことの詳細についてはいずれまた。






散文(批評随筆小説等) 香山リカせんせーを精神分析する Copyright 一輪車 2019-02-01 04:10:18
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