ある日のえんばー4
若乱

(つづき)
すっかり暗くなる前にコンビニで麺弁当買い、食べる。店員さんは女子高校生っぽく、隠喩で汚くてごめんなさいって言ったら、隠喩ででも綺麗ですって言ってくれた。美しさとは意志なのだ、と思う。
裏手の道には道路に|→44とあり、タクシー教習所みたいなよくわからない建物挟んで44←|となっていて、ああ、怖いなとなんとなく思う。(こういうのは案外馬鹿にできないのだ、などと思う)(結局2回くらい通っちゃう)
その後もまっすぐな大通りをぎりぎりと歩き、御油へ。大通りではなく、少し街中を歩きたい、とフラフラ横道へ。御油の松の木並木を見たいと思ったが、丁度通り過ぎたところだったようで、逆方向に向かう気にはなれず、松並木は見ず進む。日が完全にくれたのがその時くらいだったか。
丁度お祭りの日だった。提灯の橙色の光の歩道を浴衣姿のぴちぴちの女性と、汚い、帽子を目深にかぶったでっかい荷物背負ったやせっぽちがすれ違う。
お祭りはやっぱりいいな、と思う。街の心の浮き立つ音が嬉しく、僕の心にも染みた。しかし祭りは死でもある。途中花火がドンドンと鳴りだす。
もう暗くて、かなりぎゅうぎゅうに詰まった住宅街。街灯もなく誰もいない曲がり角で、ポツンと一人、自販機で飲み物を買う。人が遠くでけたたましく笑っている声が聞こえ、誰もいない神社には石灯篭に火が入り、盆踊りの屋台が大量の人の余韻を残している。今日はとても神社では寝れない、と思う。こういう時が一番危ないのかも、と思う。浮き立つ心のまま、人は何をするか分からない。かといってこういう人たちの輪に入り、立ち回ることなどとても難しいことだなあ…とか思う。そういう平穏ではない、浮き立つ心が街を覆って、人をすっかりしびれさせている。祭りは死だ、と思う。儀式、とか生贄的に、たまに祭りは人を喰うのだ。たまに人を喰うために、神社はぽっかりと昼間口を開け、どなたでも休憩していきなさいとばかりに、隙間を作っているのだ。(いつもどこかは誰かの場所なのに、神社は休憩できるカラクリはきっとそれである)そしてお祭りになると瞑っていた目をらんらんと開け、開けっ放しにしていた口をにやりとゆがませ、あっはっはと皆と笑い、そして最後にバグリッ!と誰かを飲み込むのだ。石燈籠の光で濃くなった陰のちょっとした暗がりで。
(つづく)


散文(批評随筆小説等) ある日のえんばー4 Copyright 若乱 2019-01-30 19:35:37
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