幸せ疲れ
葉leaf

 私は子供の頃よく風邪を引いた。しょっちゅう熱を出したり咳がひどくなったりして医者に行き親に心配をかけた。私は医学のことはよく知らないが、よく風邪を引いた原因の一つとして「予防」というのを全く気にかけていなかったことが挙げられると思う。子供のころ、風邪の予防のために手洗いうがいをしたり疲れをマネジメントしたり、そういうことが一切なかった。私はそれでよく風邪をひいたのだと思う。
 私は大人になって予防をするようになった。少し体調がおかしいと思ったらマスクをしたり、体力を温存したり。手洗いうがいなどもそうだ。そのせいか私は風邪をあまりひかなくなった。そして、広く体調悪化の予防として疲れた時は仕事を休むようになった。私は自分の疲れに敏感になり、疲れをマネジメントする習慣がついた。ひどく疲れてしまうまで動かない。疲れたら少しずつ休みを取る。
 30代の時に結婚した。婚姻届を市役所に提出した後、しばらく私は幸福感に包まれていた。愛する人と共に生きることが確定して、今までにないような幸福を感じたのだった。周りの祝福による幸せもあったが、愛し愛されるということによる決定的な幸せが法制度によって確証された、その証明による幸せだった。新婚生活は楽しく、しばらく気持ちは高ぶったままだった。
 だが、結婚式を挙げてすべての手続きが完了したとき、私は言いようのない疲労感に襲われた。限りなくデートを重ねて、相手の親に顔を合わせ、指輪を注文し、両家の食事会を執り行い、結婚式を段どる、すべての疲労が一気に押し寄せたのもある。だがそれ以上に、幸せとは疲れるものだった。私は交際から儀式に至るまで幸せの渦中にあり、幸せによって高ぶった気分がそこでひと段落ついたのだった。私は幸せに疲労したのだ。
 人によって自分の何をマネジメントするかは異なる。腹の具合に気を付ける人もいれば花粉症に気を付ける人もいるだろう。だが私は主に疲労をマネジメントすることが習慣づいていた。体調を崩したり風邪をひいたりしないための疲労のマネジメントには気を使っていた。幸せもまた体調を崩す。幸せもまた疲労の原因である。何かここには人生の諧謔があるような気がする。


散文(批評随筆小説等) 幸せ疲れ Copyright 葉leaf 2019-01-14 15:48:31縦
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