This is a pen
やまうちあつし

ペンを持たされた人がいた
親からか神からか
それはわからなかった
そのペンは
インクが尽きることがない
どこにでも落ちているような
ありふれたボールペンなのに
いくら使っても
書けなくなることがなかった
   
物心ついたころから
日記をつけ始めた
その日の天気
その日の元気
その日あったこと
その日なかったこと
明日やろうと思っていること
昨日できずに終わったこと
少年の文字から青年の文字へ
どんなに頁を重ねても
インクがかすれることはなかった
   
日記を書くことに飽きると
絵を描くようになった
初めは自画像や
誰かの似顔絵だったが
そのうちに目に入るものを
手当たり次第に描き始めた
描かれるもの毎に
ペンはインクの色を変え始めた
空のための青
森のための緑
パンジーの黄色
夕焼けの橙
初めての恋人の髪の色
虹を描くにはVIBGYOR
ペンの鮮やかさは
世界の鮮やかさと等しい
〈あなたが受け取る愛の総量は
 あなたがあたえる愛の総量と等しい〉
ように
   
やがて戦争が始まった
その人は戦地でも
ペンを手放さず
メモを書きつけた
戦いの経過やその日の食事
死んだ仲間の数と
殺した敵の数
ペンは真っ赤なインクを吐いた
その人も時々血を吐いた
   
戦争が終わると
ふるさとに帰った
灰色一色になっていた
ペンのインクも黒色に戻った
それからのち
わら半紙に書かれたものは
いったい何だったろう
   
言葉はひっくり返り
あるいは肩を組み
時には火花を散らし
書いた本人に牙をむく
殴り書くそばから
線で塗りつぶされ
丸まって転がった
あるとき
どこからか
比喩が現れた
ふらり、とちょっと寄っただけ
とでもいうように
   
言葉が
街のように定着する
黒いインクがとめどない
その人は丁寧に
一晩かけて清書した
頁の中に
港があり
公園があり
墓場があった
屋根を持つ人がおり
屋根を持たない人がいた
大地は震え
大波が攫った
望まれて生まれたものと
生まれてはいけないものの
区別はなかった
一本のペンだけが
その訳を知っていた
   
部屋の扉を開けてみるといい
ノートやメモ帳は堆く
地層のように
積み重ねられている
笑ったときも黙ったときも
病めるときも健やかなときも
言葉を刻むのはなぜだろう

その人が死んだ夜
近所の人は
不思議なペンの噂を聞きつけ
ノートの上に走らせてみる
けれどもペンは
線を描きはしなかった
さっきまで持ち主が
文字を記していたはずなのに
隣人は首を傾げながら
ペンを棺に納めた
これはあの人のペンだから、と


自由詩 This is a pen Copyright やまうちあつし 2019-01-11 12:16:57
notebook Home 戻る  過去 未来