「ままごと」
桐ヶ谷忍

母がこどもの手を引いて、楽しそうにスーパーで買い物をしている。
こどもは無機質な笑顔をはりつけて、母に引きずり回されている。
(おかあさんその子は)
(人形だよ)

結婚して家を出てから、母がおかしくなったと聞いていた。
人形を私の名で呼び、片時も離さなくなったと。
渋々実家に帰ってみれば、母は今買い物に行ったばかりだという。
その目で母の様子を確認してくれと、やつれた父が言う。
そして。
見たことのない笑顔の母がいた。

おぞましいほど干渉してくるか、全く無視するかの両極端だった母が怖く
実家を出てようやく呼吸が楽になった。
のに、人形を抱き上げ、母はなにごとか話しかけ、ひとりで笑っている、
幸せそうに。
私はのろのろと母の後ろを歩く。
買い物カゴにはハンバーグの食材。私が好きだったメニュー。
菓子コーナーで、おもちゃ付きの箱をカゴに入れてまたひとしきり
人形に話しかけている。
子連れの婦人が慌てて逃げた。

こどもがほしがるような菓子は体に悪いと私には与えられなかったものが
人形には与えられる。
怒りと嫉妬で睨みつけるが、母は人形しか眼中にないようで、ずっと後ろを
つけ回している私には、一瞥すらない。

カゴを持ち会計待ちの列に並ぶと、母の前後の人がサッと消えていく。
レジのおばさんが母を見ずに、神経質な素早さで合計金額を言う。
「さあお家に帰ろうね」
片手に人形を抱き上げ、片手で二つの買い物袋を持つ。
私は、荷物を持ちましょうか、と声をかけた。
母はニッコリ笑い、ご親切にどうも、大丈夫です、と謝辞してきた。

私の顔を正面から見たのに、全くの他人に対する笑顔で。

「親切なお姉さんねぇ」
人形に話しかけながら遠ざかっていく。
母のこどもは無表情に笑い返している。

私は、母に憎まれていたのだろうか。
愛されすぎていたのだろうか。
うまく呼吸が出来ない。
(帰ろう)
夫の待っている家まで。
ただしく愛してくれる人のもとまで。


自由詩 「ままごと」 Copyright 桐ヶ谷忍 2018-12-25 10:39:52
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