村の記憶
帆場蔵人

餌をつけた針をゆらり
次の瞬間に竿はしなり針は
川面に静かに滑り込む

じいちゃんのとなりに座ってぼくはみていた
それから黙って手渡された竿を手に川面を
じっ、とみつめていたんだ、じいちゃんは
黙ってそんなぼくをみていた、とても静か

六畳の和室で祖父は寝ている
寝ていたかと思えば、叫びだす
祖母のなだめる声もとどかない
痛いのか、なにか嫌な夢をみたのか
腹が減ったのか、便所かもしれない
言葉にはならない、叫び
支離滅裂な言葉たち、叫び
寿司に毒が入っていると、叫び

かたわらに座り
振り回される手を握れば、爪が手にくい込んで、胸に食い込んで
寂しい痛みがちかちかする
肉の削げた足をさぐると酷く冷たい

あぁ、これかな

やがて叫びが途絶えるころ
指に滲んだ血を舌でぬぐう
祖父は黙ってぼくを、いやぼくの
背後のなにかをみつめている
ぼくも黙って変化する川面のような
瞳をみつめていた

じいちゃんの手づくりの竿と針を
川に流して、きっと怒られると
歯を噛みしめていたけど、じいちゃんは縁側に座ると
ぼくを隣に座らせて、村の田畑を
指さした

「あのさき、山の口のあたりな。じいちゃんがおめぇ、ぐらいのときはなぁんもなかった。じいちゃんの父ちゃんやおじさんや姉ちゃんたちが、時間かけて拡げた。その前はきっとあの辺りが畑でなかったんだろうなぁ。台風や山崩れで荒れても、また手を入れてな。やり直してきたんや。あの山な、あの山でみんな谷にかえるんや」

それから
釣り竿を黙って作りはじめた
夏の風にのってきた牛の鳴きごえ
(谷にかえるよ、みんな)
よくわからないけれど
みんなそこにいるのだと
むねに仕舞い込んだ

膝を抱えて桶のなかに祖父は置かれている
昨日はあれだけ叫んでいた人が
小さく固められて、黙っている

たくさんの人々が村中や村外からも集まり、築百年のだだっ広い家にも入りきれずに、庭でざわざわと挨拶や故人のこと、まったく関係ない猿が家に入って鍋の肉じゃがを食べていた話しなんかをしながら葬いの空気を作っている。ぼくは離れの物置きで古びた釣り竿を二度、三度と振ってみた。いまだに釣りはうまくない。それから釣り竿を座棺のなかに滑り込ませた。だれもなにも言わない。ぼくのする事に怒らずにはいない父ですら、無言

やがて座棺は村の人々に担がれて葬送の列はうねりながらのびて、山のなかへと呑まれてゆく。とても天気の良い秋の日のことだった。祖父と釣りをした小川の橋を渡り、放牧された牛たちが草を食んでいる傍らを抜けて、曽祖父やその家族が切り拓いた田畑の間を通り祖父は山の墓場で土葬された。みんな谷にかえるんや、ぼくは呟いて墓のそばの桐ノ木をみあげる。それはとてもとても繁っていた。遠く牛の鳴き声が谷にこだまして、おかえり、とだれかが呟いている。とても静かに ひと粒がおちて 波紋をひろげながら みんなそこに かえるのだ


自由詩 村の記憶 Copyright 帆場蔵人 2018-12-14 14:30:34縦
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