反権力とは何か
一輪車

まず権力のようなものが在るより無いほうがマシなのだろうか?
これはむつかしい問題だ。
そんなむつかしい問題を考える前に、まず、権力なるものは生物が存在する限りどこにも存在する、という現実をおさえておくべきだろう。
共同体のシステムを維持するために必要である以上、それは必ず成員を縛る。
だから反権力とは、いきすぎた呪縛を解くためにあるのであって、たんに反権力であることがすぐにいいことであるとは限らない。

真にリベラルな、反権力意識とは大衆の生活に立脚する思考をもつことであって、理念に奉仕することではない。

その意味で、現在泡沫のごとくマスコミ界隈に漂っているいわゆる"意識高い系左翼....
(ああ、もはや「左翼」などということばは反日売国の代名詞になってしまったが、)このような自称リベラルたちは理念に奉仕している傾向性がある以上、すべて反権力ではなく、むしろ権力の補完勢力である。

いきなり論理が飛躍している部分があることは承知している。理念に奉仕する観念の奉仕者がどうして権力の補完勢力になるのか?
かれらはテレビでも激しく政権を非難罵倒しているではないか。そう反論するだろう。

しかし政権の非難など反権力でもなんでもない。かつてかれらが一度でも財界を非難したことがあったか?^^
あるはずがない。そもそもテレビ局やマスコミの仕組み自体が財界のおこぼれで成り立っている。そこで財界を非難などすればコメンテーターとして存在できない。^^
しかしわたしたち庶民大衆から生活や自由を奪っているのはじつは財界であることはすこしでも勉強してみればわかることだ。
意識高い系の知識人たちがテレビで政権ごときを非難しているあいだにモンサット(バイエルン)は日本の種子法を廃止させ、ウオーターバロンたちは日本の水道事業を収奪しようとしている。(たとえば維新の大阪は水道事業をまさか!民間に売り払おうとしている!)これらのことをテレビで批評すればすぐさまそのテレビ局が潰れるだろう。こういうことが反権力的言辞というのであって、安倍政権ごとき一年中批判していようと、ちっとも反政府反権力ではないのですよ。^^

あえていってしまうならば真の反権力とは、いま綺麗事をいって安倍政権を批判しているような、こういった輩に反発することであるといえる。それが反権力になるようなおかしな世の中なのだ。
いま権力に抵抗するとは、反知性を根底に置くことである。
もちろんここでいう反知性とは知性を嫌悪することでもなければ否定することでもない。
むしろ非知性というほうが正しいだろう。

いまわたしたちは「悪」しか選べない時代に生きている。
だからわたしたちにできることはよりましな悪を選んでそれをそこから少しでもマシな方向に支援することだけだ。
ところが、財界と財界の補完勢力である官僚、マスコミが、じぶんたちの云うことを聞かないで二度も消費税増税を回避した
安倍政権に業を煮やして「モリカケ」デマ騒動をもちかけ、必死で国民国家を曲がりなりにも死守しようとする安倍に
意識高い系のバカインテリサヨクたちが石を投げた。
これがどれほど愚かな現象であるか、気が遠くなるほどこの国は病んでいる。

こういったことがほんとうにわかるようになるまで、いまの日本人はどれくらいの時間がかかるのか。
遅ければこの国は十年以内に崩壊してしまうかもしれない。

いつの時代でも知識人は権力への奉仕者であった。
いまテレビで激しく政権を憎悪し非難している大学教授や批評家もじつは権力の奉仕者である。
魚は胴体だけで存在するのではない。頭としっぽについていっさい言及しないサヨクや意識高い系のシンポ的チシキ人たちがいかほどいかがわしい存在であるか、そろそろみなさん気がついてほしい。


散文(批評随筆小説等) 反権力とは何か Copyright 一輪車 2018-12-04 10:00:41
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