スイート目盛り
腰国改修

大前提として『人に言えたもんじゃないですけどね』と言っておいて、今回の話を書き始める。

自信。自信ってなんでしょう?分かりにくので目盛りにたとえます。たとえばあまり自分には自信ないんですよね、という人は、そうだなあ、だいたい自信目盛り6?ぐらいかな?いや5?というふうに自信を目盛りで可視化出来るとする。今、たとえばSという自称詩人がいるとする。自信目盛りとは別に神目線目盛りがあるとして、Sは神目線目盛りでは5ぐらいなのだが、自信目盛りは8。かなりお高い。5の人が8の勢いで書くから、あ、書くってのは詩ね。出来た詩はどこかちぐはぐ。Sが、ああ、私、自信過剰だったわ。と、謙虚になったところを上は見逃さないので神目線目盛りは6になる。で、自信目盛りも6になる。すると6の人が6の勢いで書くから、それなりの詩が出来上がる。

よく見かける背伸びした詩や上から目線の詩や自己陶酔、はたまた本人が気がついていない詩人な私が書いた詩なんかは、やっぱり自信目盛りと神目線目盛りがずれているのだ。分かりやすく言えば身の程を知るなのである。

M氏がジャララランと、まるでニヒルでカッコイイギタリスト気取りで詩を書いた。神目線は、なんじゃ?こいつってことで目盛り3。M氏は自信目盛りというか、自信満々のほうがまだましで、素直に、天真爛漫に自分はカッコイイと思っているから質が悪いが、つまり自信目盛りは10。『普通に』10な人なんである。こうなると目盛りもへったくれもなくなってしまう。

相変わらず神目線目盛り3なのに、M氏はAさんやBさんのように体裁をついつい気にしてしまう神目線目盛り5、自信目盛り5な人たちに10な勢いで詩について語ったりする。または、誰とはなしに詩とは?みたいなことをグネグネやってしまうのである。

さて、そこで、電車の中、まあ、私も人のことは言えないが、まあ、車内には色んな人がいて、色んなファッションをして揺られている。ファッションにおいても自信目盛りは機能する。まあ、だいたい普通の人は普通というぐらいだから自信目盛りは5。その謙虚さに神目線目盛りは5ないし6。中には自信目盛りの5が謙遜入ってて、神目線目盛りさらにワンナップで、はい!7!みたいな、ほんとにオシャレな人もいる。

ともあれ、公衆の面前に出るのだから、誰しもが正直自信目盛り、実は6〜7、何なら8もあり得る。自宅をでる前に、よし、これでよしと思って服を着る。自信目盛り3や2で服を着ると外には出られない。もはやパジャマで出勤、寝間着で通学(寝間着って古いかな)な感じになってしまう。

要するに、何だかんだありながら誰しも自信目盛りは案外7〜8ぐらいなんじゃないかな。シレッとしてる人なんて実は9みたいな。

だから、案外世の中は自信がある人で満ちている。でも足りない!みたいな人がいる。承認欲求とかいうのかな?私を見て、私の話を聞いて!みたいな。自信目盛り1か2、神目線目盛りも1か2な人がいる。あ、でも実はこのような人たちは隠れ、いや隠し自信目盛りがあって、私を見てとか言いながら案外自信目盛りは高い。これは、『あざとい』とか『かまとと』とか『うざいやつ』などと形容されがちになる。

ま、事なかれ主義とは行かないけど、自信目盛り6〜7、神目線目盛り6ぐらいが一番健全なのかなあ。自信目盛りを駆使し自らを似非天才ぷち肥大化し、ぽよぽよと流れるように詩を発表する人々がいる。ザ・詩人、と、呼んであげてください。呼んであげてください…ううう(涙)


散文(批評随筆小説等) スイート目盛り Copyright 腰国改修 2018-11-03 23:37:52
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