「薔薇の下」
桐ヶ谷忍

薔薇の下から
少女の唄声が聴こえる


庭の片隅に植えられている
その深紅の薔薇の下から聴こえる少女の唄声は
私にしか届かない
それが惜しいほどに、華麗に、時に遣る瀬なく
見事な唄を唄う
言葉はないが思いの丈が胸にせまるほどに
そのまだ成熟し切れていない声は伝えてくる

女になってから
切り捨て、或いは忘れ去った多くの感情を
初夏が来て、毎年その唄声が響き始めると思い出す
うつくしい紅薔薇が咲くと歓喜の唄声が
散れば悲しみ嘆く唄声が
晴れの日に、雨の日に、曇りの日に
同じ唄は唄わない
少女は少女の特権としてその気分次第で唄う

薔薇の下に何が埋まっているのか
私は知っている
というより
私しか知らないものが埋まっている

ある霧雨の日
月のものの憂鬱と痛みを堪えていた時
そのあまりの無邪気な唄声を聴いているうちに
言葉にならない激しい怒りが沸き上がり
衝動的にその薔薇の下を掘り返そうとし
両手でほじくり掻き出し
汚泥が爪の間にぐちゃりと挟まったのを見て
私はその場にしゃがみこんでしまった

全ての指の爪の間に挟まれた泥
これが、私だ
私はこんなにもあの少女の時から遠ざかり
汚くなった
人はそれを成長と呼ぶだろう
けれど私には少女の唄声を聴くと
これが成長かと自嘲することが多々あった

悲鳴のような少女の唄声を聴きながら
私はほじくり返そうとした泥をまた埋め直し
庭の水道で爪の間の泥を丁寧に流し
また薔薇の下にしゃがみこんだ
唄声は子守唄のように変わっていた

しずくに濡れて水滴まで紅色に見える薔薇の下には
私が幼い時に埋めた人形が埋まっている

女に成る前に埋めた、大切にしていた人形
毎日なにがしかの感情を覚えていったあの懐かしい日々
今の私の感情を
少女はついに知らぬままに埋められた
それでいいと思った
あどけなく唄う声を聴きながら
私はいつまでも雨降る庭の片隅にしゃがみこんだ
薔薇の下から
少女の声は絶えることなく唄い続けられた


自由詩 「薔薇の下」 Copyright 桐ヶ谷忍 2018-10-04 07:22:56
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