えっ?神?そうか、かみだったのかぁ。
秋葉竹



あゝ、神になってしまった。
いや、オレが自分で言っているのではないんだ。
《データ》ってぇのがあって、そこの

秋葉竹さんのデータ

他人の詩は・・・ 究極読詩神 [100%]


オレ、究極よみししん(?、何て読むのだろう?)になっちゃった。
あ、わかった。
詩神、で、しじんだな。
でも、よみししん、のほうがいいな。
なんか、指針を示してもらってるみたいで、
《おまえは、詩を書くことなんて、やらなくてよいのですよ。わたくしの翼のなかにくるんであげるから、ただただ、こちらに書かれている雨後のタケノコのような詩のそれぞれいっぺんいっぺんを、じっくりと読んでおればよいのですよ。》
てな感じの指針。
それも、いいんっすけどね。
もう、恥ずかしさのあまり感想もいちいち書いてないですけど、読んで泣き崩れてしまう詩も、いくらかあったりしますしね。
その詩人の方の描くようなみずみずしい感性と確かな技術力による詩炸(わざと、だよ)には、たぶんいっしょうかけても追いつける気がしない。

なら、書いてる意味とか、あるのかねぇ?
とか、思っちゃったり、思っちゃわなかったり、ラジバンダリ(ふ、古ッ!)。
ま、とにかくだ。
もう、神になってずいぶん経つようなんだが(いつからが神なのか、わからない)、ぜんぜん神になってからもいいことなんてないから、お恐れながらご辞退申し上げる、よ。
だって、かきしじん(書詩神)のほうが、カッコいーもんね?
目指すなら、そっち。
うそ。
言ってみただけ。

でも、神は返上しますけど、読み続けてはいこうかな、とは思ってはいるよ、べつに、ヒマだし。
うそ。
ほんとは、仕事に家庭に、けっこう忙しいなかでの精一杯の誠意ですがな、ヒマやなんて、ただの謙遜、まに受けたらあかしまへんえ。
京都のもんの言葉のうらは、ほんま、えろう、ややこしおすさかいに。


散文(批評随筆小説等) えっ?神?そうか、かみだったのかぁ。 Copyright 秋葉竹 2018-09-22 06:34:39
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