ジェニーは夕暮れのあとで
ホロウ・シカエルボク


時に覆い隠されたギヤマンが灰の底の火種のような声で歌をうたっているころ、脱皮した蛇の皮のような感情でジェニーは横たわっていた、道端で調子のいい男から買ったドラッグはひどいシロモノでトリップというよりはトラップに近かった、いくらなんでもこれはあんまりだわ、とジェニーは吐き疲れた身体が回復するのをそうしてもう二時間は待っていた、涙と鼻水と涎と吐瀉物の欠片で顔中汚れていることは判っていたけれどそれをきれいに掃除するにはもう少し楽にならないと無理だった、すこしでも頭を動かすとソフトビニール製のボールが頭蓋骨の中で跳ねているみたいに目が回った、もうこんなことやめよう、そう思うのもいったい何度目だろう?やめられるわけはなかった、そう思ってきちんとやめられるくらいなら家族や友人、恋人その他もろもろの知人たち―に、愛想をつかされるまえになんとかなっていただろう、心身ともにジェニーはこれ以上ないほどにボロボロになっていたが、悲しいことに彼女だけがそのことに気づけないでいた、まだどこかでやり直せるだろう、こんなことにはいつか飽きてそれ以前の生活に戻ることが出来るだろう、ジェニーはそんなふうに考えていた、まるで列車で降りる駅を間違えてしまって、お昼ご飯を食べてから修正しようと考えているみたいに…もう半年ほど生理すら止まっているというのに―現実でもジェニーはそんなこと上手く出来なかった、なにをやってもどこかにミスがある、そんな人間だった、いまでは、静脈を見つけることは上手に出来るけれど―夜までには回復するだろうか、と天井を見上げながらジェニーは考えた、顔馴染みの売人に少しサービスをして、上物を分けてもらうことになっている、すこし頭を動かしてみる、駄目だ―欲をかかずに夜まで大人しくしてればよかったんだ、あんな、いかにも人を騙してばかりいるような顔をしたいけ好かないパンク崩れから、なにで出来ているのかもよく判らないようなものを買うなんて!いまになって考えればそう思う、だけどあの時には、もうそんな風には考えられなかったんだ、あのカネを使わなければ、今夜はサービスなんてしなくてもよかったのに…ジェニーに指先は売人たちの間で大変な人気があった、いや、伝説と化していた―ジェニーの指先のお世話になれるのなら、ヤクなんかタダで渡してやる、そう言ってくれるものは何人も居た、初めてそれを体験した売人など、感動のあまりその日持っていた商売道具を全部渡してくれた、ジェニーはそれをありがたく受け取って、帰り道で出会った売人に結構な額で売り、そのあとでたまたま出会った売人の持っていた上物を買った―そう、あたしは自分のテクニックに感謝しなければいけない、自分みたいな貧乏人がこれまで何度も上物にありついてこれたのは、まさしくそれがあったおかげなのだから…窓の外には夕暮れが迫っていたけれど、ジェニーは一向に頭を起こすことが出来なかった、元気なミイラのようにそこに横たわっていた、いろいろなことを考えて気持ちは急いたけれど、身体を起こせないのではどうしようもなかった、今夜約束の場所に行かなければあの男はもうわたしにヤクをくれなくなるかもしれない、売人は約束に厳しい、危険を冒してやってくるのだもの…どうにかして起き上がることは出来ないだろうか?試してみたけどやっぱり無理だった、とんでもない眩暈―寝返りを打つのにも億劫なほどだった、大丈夫なのだろうか、とジェニーは思った、あのなんだか判らないヤクのせいでこのまま死ぬなんてことにはならないだろうか…そこにはほんのすこし恐怖があった、そのことを考えると怖くて仕方がなかった、なのでまるで違うことを考えることにした、でもどんなことを考えるといいだろう?こんなクソみたいなクスリのことを気にしないで、回復するまでじっとしていられるようななにか―クスリ―ジェニーは医療ミスで余計なクスリを投与されて死んだ自分の叔父のことを思い出した、そうだ、あれは―確か私が三年生のときだったわ、ママが学校までやって来て、先生に訳を話して、私のことを連れ帰って葬式に連れて行ったのだ―叔父についてジェニーはほとんどなにも知らなかった、ただ戦争に行っていたという話をちらっと聞いたことがある程度だった、そうだ、いちどだけふたりで遊んだことがあった、もっともジェニーがすごく小さいころの話で、古い写真をスライドでスクリーンに映し出しているような、いくつかのスナップみたいな光景があるだけだった、叔父さんの死体をちゃんと見ることは出来なかった、奇妙な肌の色をしていたからだ―そう思いながらジェニーは右手で顔に垂れてきた前髪を横へ垂らす―そうよ、あれはこんな色をしていたわ。



自由詩 ジェニーは夕暮れのあとで Copyright ホロウ・シカエルボク 2018-09-20 00:53:37縦
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