ひふなろ白書
nemaru

[全長] 1万オーガズムの夜
歴史が証明している
ミツウロコは
ちびまる子に言わせても
いい言葉なんかなぁ?

久保がバズッてきたフィール
赤ちゃんにリバーヴかける
タナトス一万尺
光の110番

ジュンク堂でイオンモーラーになりたいと願うそなたの心
しかと見届けた


10.実名で書きたかった頃



いつか実名で書いてやると想っていた。ひきこってた20代のころはとくにそうだった。戻れなくなりたかった。自分に入れ墨をして、外のお風呂に入れなくしてやりたかった。そうすれば、世界は良くも悪くも見やすくなるんじゃないかと想っていた。ありすぎてどれが似合うかわからないのだし、選ぶことより選ばれなくなることで、閉じるドアの数で生きやすくなるってことだってある。すべてのドアに総当たりでノックするより、遠目に見て無理めなドアには近づかなくてもよくなるなら、そっちのほうが楽だし。

でも結局そうしなかったのは、本当にそうなのかわからなかったからだ。本当に要らないドアなのか、閉め出されて良いドアなのか、自分にとって大事なドアなのか、そうではないのか、わからなかった。つまり覚悟がなかった。

ひきこもってた(以下ひきこってた)ってこと自体、ためらってた。ひきこもりながらずっと、みぎあしから始めるか、左足から始めるか、みたいなレベルで。そんな精緻に揃うわきゃないとおもいながらも、とまんなきゃなんなかったって知らんがな

ずっと飛んでいられるか、諸島を見てあの島に着陸しようとしたら「あの島ヤバない?」と袖をグイッと引っ張られて「そうかなぁ…」と思いながらも否定する材料もないのでとびつづけ、燃料が尽きて一番しょぼい島に降り立ってから、降りたかった他の島のことを悔やんだり、この距離感なら今からでも泳いでいける?とか真夜中に考えてしまう

働きながら詩を書く中年やブロガーの抱く感慨は島唯一のせせらぎ、とりのなきごえ
真空状態というか、ミズグモが空気の泡を絡め纏ってまた水没しに行くような、その潜る直前をみている
親近感みたいなことを、勝手に感じる。よくぞごぶじで!



ぷるみざわペチカ「8時〜9時の間。夜のな」
ちわわぺち病ん子「6ちゃんのな」
「大阪ガスが提供やってそうな、2、3分の番組。」
「あるやん。」
「トミーズ雅がナレーションやってそうな」
「というか、やってる。」
「あれのナレーションが、なんでムカつくか?ってことについて」「今日いちにち」「考えていて」
「うん」「ひねもす」
「みちすがら」
「トミーズ雅から『ナレーションってだいたいこんな感じやろ?』感が迸っている。。」
「それを隠そうともしない」「それを見抜こうともしない」
「「それが、関西。」」
「…ふうの自己嫌悪。」「自己かいな」
「わからない!」
「サンデーの。漫画の吹き出しの。で終わってる感じの断定っぽさで、二文字だけ言う。」
「うん。」
「ゴトウユキコの光と影」
「新田章のキャラはマスクしてるほうがブっサくみえる」「つまり通常の顔がマスク」
「話したいことはたくさんあり、すべて発芽しない」
「乾いた脱脂綿」
「たまにナイトスクープに出てくる自尊心の低き
少年に、かすかに心を痛めながらみているとき、11時」
「親に好かれたくて、気を衒いすぎてガチで石田靖呼ばれしパターン」
「勝手におもとけ。」
「つよく生きていけ」
「断定口調でバキの歴代タイトル変遷を
語ってゆく
あのよるをこえて」



11.


漫画HUNTER×HUNTERには念という、超能力的(スタンド的)概念がある
制約(誓約)がおおいほど、念は強くなるという原理?があり、これを現実に適用すると
「ネット詩人 名字と名前に分かれてるタイプは念が強くなる説」
私はこの珍説を、こころにいだいている。
なんとなくなのだが、硬さが違う。
コイツ、以前より硬くなってやがる!
単語だと、逃げるために腰が浮いているというか。へをひるために腰が浮いているというか
あと一般名詞だと少し後ろに退くだけで、雑踏にスーッと紛れ込める感じが、念を弱くするのだ。
たぶん。

だからたとえ匿名だとしても、
できるだけ珍しい組み合わせで、名字と名前の構成で名前を決めることで
仮特定できることで、少し言葉に念がこもるか、念がこもるような言葉が書ける、のかもしれない。
そういうのはぜんぶ因果が逆なのかもだが
あとはなんか、触りたい!という欲求度合いがちがう気もする





12.比喩がない現場、比喩のある老後

じぶんがぱらっぱらのチャーハンみたいなんや
ええこと
じゃないんや(ノブ)
24日15時歯医者
温度差で心臓弱らすコナンのトリック便所
孤独観月ありさ楽曲思い出し今日の分の約束

ナースのお仕事観月先輩名松雪泰子しか出せず
松下由樹だった

15やすみ、家

16やすみ、家、ツイッターの
与沢ぱいたゆ動画で精神が不安定に

17巡行、ツイッター、ひきこもりabema

18しごと、ひらくpcバッグ

19しごと、mtで帰宅2100、婚活電

20しごと、はやめの帰宅フェロモン

断定口調でバキの歴代タイトル変遷を
語ってゆく
あのよるをこえて

くちの草木コミュ症
川をひょいとみやるときだけ人間
影駭響震
ヤンマガ
おちんぺい国家主席(夫のちんぽが入らない)

すまほをもってたひじをゆにつけるとつまさきがひたりぬくくなった
ひじゆじけんじや
乳さまシート
乳がジェットコースターのバーになる婆
おでこに当て、乳さまシート
21
テキスト1を読み終え
階上の足音が心臓にわるいストレス
Yahoo!ニュースの救急車がガーとなってるサムネより無名、Yahoo!ニュースの警察の看板のサムネより無名

なんか続きありそうな終わり方やったけどな

21
ろくじあんざゃずとろにっく
18巻63p
何故自分の書くことは痛みを消化しきれない
手帖に塗れた技術
うきふねわっこさいこ

22
午前選択
9を聴きながら
文章を書き
あとは夕方まで
寝て過ごした
ちゃっきょにしろよ
電話
3ヶ月ぶり
ジャーニー終了
HUNTER×HUNTERを読んだ
冷製パスタ

撮れ高になれすぎた彼女は眠い
たぶん俺も本来そう
ただわるい映画もいいもんだ
という立場を彼女の代わりに堅持しなければならない気分に支配されていて
たまに、
ミニマルな電子音楽も聞いたりする。むりやり
で、めっちゃタバコ吸う



23
しごと
コンビニ店員の下手くそ棒みたいな髪の毛
朧車
しごと
冷製パスタ
フォークと器がかちゃかちゃなる
polly生活
jazztronik 七色 ろくじあんの表で聞こえたのはこの音楽だとおもう
ボーカルはちがうひとなのかもだが…

24
スーパーカップをぺろりじゃ
(それはどっちの?)
毎週休みに行くとこも思いつかんで15分バッテリあがらんように車で音楽聴くんでキリコの絵ぇか
ひろゆき論破Youtubeを見ているうちに
ニコ論壇みたいなやつの東浩紀の思考処理時間に惹かれていた
歯医者
口臭計
ふぇーず4だったがキムチを食べたといったらソレダ!といわれ
歯石をとってもらった
図書館で港の人、現代詩作マニュアル
帰りにフレスコで食材買って帰宅
鯖の水煮の缶詰とごはん、キムチ、むぎ茶、よもぎもち、抹茶
詩作マニュアル
最低限の生活
ナツ骨粉

25
しごと
冷製パスタ
つかれた。
帰りにコメ
笑ってコラえてひさびさ
こんなに面白いひとたちが実在
点在するのだろうか
何か仕込みのようで仕込みじゃないようなことを
リサーチを
しているのだろうか
生活を聴きながら
現代詩作マニュアルをよみながら
寝た

26
あさ
ゴーヤチャンポー(チャンポー!貴教)つくる
みりんと酒をよいのを買ったのでうまし
しごと
深夜テレビ
スタジオブースで
薬効が沁みてく役のCGの人がアフロになって
ニノに話しかけているのをぼーっと見ていると
インターホンが鳴りサイドパーク
シールから
あの島におりよう
でもこわない?
とかげとかいるかもしれんで
なんやとかげぐらい
あとわたし不時着でガーってなるん、めっちゃこわい
骨盤ぱーとなー



アスファル燐光こぼすよう
記憶肯定消えていき
つながりわハットしてぐぅ
くもりの有利さばかり
毎朝嚥下する
命名権失ったスタジアムそびえ人生
残業放課後トーク帰宅22時
つかれ、音楽寝

27
いちおう愛をください
無理にとはいわないですが
愛をくださいあっなければいいんで
申し訳ない
うまれかわったら入浴剤の袋が
ずっと棄てない人生がいいね
中途覚醒なかった
あさ
しごと
土踏まずで抑えたバブが
秒針とよく似たタイミングで
風呂の底
鳴らしてんだ
たまに勝手にふたりいると思い込んでるひとがいて、綾野剛と落合陽一はふたりいるとおもってた、ひとりだとわかってるのに
細かすぎて選手権
サイズ指定も辞さない現代詩
帰り道で住民税を検索しようとおもって
毎日忘れてる

お弁当を詰めながら
オネエ系の声色で
ほら、坊や?ルッコラしてしまうんだよ?を連呼していることに気づく
親戚の女の子がくると
息子は劇場版になる
劇場版から
ビル火災ミソジニー
ルイードぱんだ本投手の虹彩ばかりみてれ
胎児ポーズで曝露されたし愛
余った分は人に1割ずつ混ぜて使ってくれ
可憐な義憤のシューゲイザーで腐爛のステンのくそったれくれんのsれ
仕事は今日はよかった
帰りにSeiaでダンボールのVRとかさを買った。
財布が2円ぐらいしかなくなった。
帰宅して飯食って(コード・ブルー病院をみながら
ダンボールを組み、XVideosでVRをみた。
これはただの立体視で、立体だなあ、と思いながらエロく感じれず。
PornHubのが本格的VRができそうなのだが、いかんせん重い。
けっきょく平面を見てした。
ネットが軽い日にするよ
あしたでんわするよ


うなぎのおでゅへす
歌うほどの君もいない
金網にねじこまれたカプリコ
向こうに落とす
どうもどうも


28
逃げてもいいよ的ツイート9万いいねのうち
さぼり倒した
適用外の豚が何匹いるか
まびけないものか
全適でも
全摘したい
前撤したい


現代詩作マニュアルを読んでいて
朝ふろにつかり
職場の問題についてかんがえていた
過去の作業ミスの原因を
ミーティングで問題解決法を使って探っていく
(アタリをつけずに事実だけを抽出しゆっくり進めていく)
つくり間違えたのはなぜか
というところで、急に比喩がないからだとおもいいたる

セル生産方式に近いのに
作業スペースの関係で、嵩張るものは置いていない、という状況は
嵩張るものの代わり、を用意して、それが必要であることを
知らせなければいけないが、その「事情があって用意できないものの代替物」を
置いていないことが原因なのだ。

マンツーマンの時代は
そのひとのかわり、を置く(用意する必要)がなかったし
ひとの意識が「事情があって用意できないものの代替物」の「事情」まで遡って
理解する必要があったし、そこに割く時間・ひとがいて成立していた
だがこれからはホリエモンのいうところの非同期通信じゃないが
自分がいない代わりを立てておかなければならない
わたしの職場はいまだに比喩がいらない職場なのだ
で、わたしが会社を辞めたとき、またあたりまえに比喩の要る世界に放り出される
わたしはちゃんと比喩を使いこなせるだろうか
老後
しごと

28
リュック橋こういちろうです
靴を履いて
家を出ようというところで
昨日セイアで買った傘の包装とタグを
切ってないことに気づき
シンク下の包丁を内側から差し入れて
傘ごと切ってしまう
こういった
必ずしも
じぶんだけが
悪いわけではないことについて、
バス



29
目は心眼、

目は心眼。

直掛けの石田靖

犬とかスヌーピーでええやん
なんで
実直にリアル犬なん
レインボージーンズ
せめてひとぐらい自由に裏切らせてくれ
洗濯槽に洗剤をぶちこむ
容器の蓋のふちについた洗剤を
放り込んだジーンズにスタンプする
なぜ起きたのか
わからない
すぐ天敵のいない島のとりみたいになる
論理的に言えなくなる
子供の頃から
けらえいこのボーバクが
多岐亡羊に生きている
ボーバグ
たまに女にうまれてツイッターで
よき…とつぶやいてみたかったな
ダンボールのVRスコープは
両手でもたないとずってくるので
もたなくても良い姿勢
畢竟騎乗位の動画しか見ない
めがみっつあるのはキャバ嬢のあんゆなんすよ

状況的に
よりそうより先におれによりそえなのに
たかねどいとようじ的な飢餓耐えする意味がわからない
まっちゃん的にいえば、
よりそわせさせられみたいなことを
ここでまでしなきゃならない意味なくないすか?


今日は洗濯した
台風はほとんどいってしまったようで
外に干すた

机の上の積ん封筒を開け
車のアンケートに答え
AmazonでプロテインとEPAと亜鉛的なものを買う

服が届きタグを切り
ハサミをベッドに投げたら跳ねかえってきて
尖ったほうがつまさきに飛んできたので
反射的に後ろに下がったのが
きょうのハイライト


干していておもったのが
書いていて勝手に期限を切っているときってなんだろう
完成していようがいまいが
必ず遂行しろという強迫が今週はつきまとい
ずっとごちょごちょやっていたが
いざ投稿する段になると今の自分の気持ちに最も合った
分量、濁し方、読ませにくさが思いついていき
ガンガンコピーペーストで順序を変更し、
あいだにメモを挟み、取り消し線を引き始め
ふさわしいもの、になる
ある意味

純結晶いけへんかったわ





1.ダルちゃんに溜飲が下がった

資生堂PR誌のWEB版「花椿」で毎週木曜更新されるはるな檸檬さんのショートストーリー※「ダルちゃん」。肌色でアメーバ状の「ダルダル星人」ことダル山ダル美(丸山成美)は周囲の子供や同級生の言動や輪郭をトレースしながらなんとかやっとこさ社会的で女性的な最低限度のそれっぽいふるまいができるようになった限界女なので常時生きてることにオッカナビックリである。私も男でほとんどアラフォーだがひとごとだと思えず目が離せずシンパシーを感じざるを得ない。彼女は職場の飲み会で先輩女性の忠告を無視し「選ばれた」優越感でモラハラオラオラ男にホテルに連れ込まれベッドの上で後悔と恐怖の入り交じるなか失効しダルダル星人に還元され事なきと舌打ちを得る。自己肯定感の低いところを突かれ居心地(直感ベース)ではなく「ちょろい」という雑い欲しがられ方にこういうものなのかなと自分の精神的スペースが圧迫されながら正常性バイアスを書け続けエマージェンシーなマイナスにでもならない限りそれを取り戻す推進力や正当性さらには理由すら取り戻せないといった自信なさはいったいどこで育まれたのだろうなどと思いながらいつも読んでいる。ある日彼女は「ダルダル」を認めた同僚ヒロセとセックスしセルフエスティームが昂進しすぎたので自分の言葉を綴る感動にわれを失いあろうことか(大事なことなので一度しかいいません)花椿に詩を投稿し(花椿には『○月の詩』という投稿詩を募るコーナーがある)あっちの世界の高橋さんか文月さんの目にとまり掲載されることとあいなる。彼女が現代詩フォーラムに投稿しなかったことが悔やまれる。ここからはじゃっかん推測が含まれるが彼女はこの投稿詩に彼氏の身体的特徴と自身の記名をすることで彼女と彼の関係を特定できる状況をうみだしたうえ彼女はまず彼に詩の掲載の事実を打ち明けるが彼はふたりだけの関係を公の場に供出したそのおこないをソフトに忌み嫌ったためダルちゃんは嫌われる恐怖を感じ謝りまくりもう詩は書かないの一点張りで誓い倒し雨のそぼふる団地かマンションの一室(501)でひしと抱き合った。ここまでが最新話(41話)までの駆け足なのですが。ダルちゃんがヒロセを喪うぐらいなら詩を書くのをやめると懇願してるのをみて「よかった〜」とおもってしまった。なんか安堵してしまった。子はかすがい的な。40話の時点で私はおそらくダルちゃんは彼氏と別れて孤独なことば道を選びひた歩くのだと思いこんでいたのですが全然そんなことなく「ダルちゃんってこうだったよな〜」と。自分のいるほうの沼に戻ってきてくれるかんじのダルちゃんに少し毒親っぽい気持ちも入り混じりつつ「うわ〜やだな〜」と自己嫌悪催しながら。


※花椿の公式Twitterでは「ハナツバキコミック」と呼び習わされてる。言いにくいもんね





2. 象徴 〜ぞうじるし〜

最近よむもんかリストにあった本を図書館で借りていて、今週のやすみのひに現代詩作マニュアルを借りた。そこから引用。


K――うん。とにかく、詩は理屈じゃないんだということを伝えたい。秘密の共有なんだから、ある種の身体を扱うんだから、本来ワクワクドキドキするものなんだ。何かいけないことをやっている、官能的なレベルに近いことをやっている。そう思わせたい。(野村喜和夫『現代詩作マニュアル』p122-p123思潮社)



さらに以前読んだ詩の作り方からも引用。


しかし、詩をかくことは自分の生活をさらけ出す結果になる、という自覚は、案外、少ないかもしれません。新聞や雑誌などの投稿者には四〇歳代五〇歳代の女性が意外に多いようです。この年代は青春を戦争中か戦後のもっともひどい時期にすごしたひとたちです。戦争によって親を失い、夫や兄弟を失い、苦労して子どもたちを育て、やっとその子どもたちが一人前になって、わずかの閑暇を得た今日、彼女たちは詩をよみ、詩をかこうとしているのです。僕は何かしらのやすらぎと何かしらのむなしさを、いつもそこに感じざるをえません。詩をかくことで心のささえを得ようとする、その気持ちがひどくせつないのです。初めて詩をかいたと言って寄せられる詩には、なれない手にペンをもった実感がなまなましくこもっています。これまで苦労に耐えて、ひとにうしろ指をさされまいとして、必死に生きてきたことでしょう。だが、こういうひとが詩をかくとき人目をはばかろうとしないのです。胸にたまっていたことがあふれ出るようなものが、そこにあります。男性の場合ですと、巧拙の差はあっても、年配者には多少の心得があって、かくものも実生活の常識からあまり逸脱しはしません。いきおい中途半端で、なまぬるい詩になってしまいます。ところが、女性の場合は、日常生活でがまんにがまんを重ねたものが、詩を初めてかいたために、せきを切って流れ出したというようなものが少なくありません。
 僕自身はもう何十年も詩をかいて生きてきた人間ですし、自分のかいたものが、現に生きているひとりの人間である自分に、どう現実にはねかえってくるか、よく知っているつもりです。その結果どういう結果になろうとかまわない覚悟はついています。だが、新聞の投稿詩の場合、その詩に実感がこもっていればいるほど、作者自身があらわに出ていて、僕はせつなく心配になることがしばしばあります。この詩が新聞に出て、ご主人がよんでもいいのですか、ご近所のかたがよんでもだいじょうぶですかと、つい考えてしまいます。「生活をさらけ出すなんて、私にはできない」どころでなく、自分がどんなに自分の生活をさらけ出しているか、それが新聞に出たら、実生活ではどんな結果を招くか、まるで自覚がないのではないか、と思われる場合が少なくありません。
 「生活をさらけ出すなんて、私にはできない」と言って詩を断念するひともあれば、反対に、自分が実生活では秘めていたものが、詩にはあらわに出ているのに、それを発表したさい、実生活にどういうはねかえりがあるか、無自覚なひともいます。(黒田三郎『詩の作り方』p154〜p155 明治書院)


非常に長くて申し訳ないのですが、ここまででようやっと意味がとおるんじゃないかとおもいます。時代背景はちがうとはいえ、ここにはダルちゃんのやらかした事がだいたい表されているようにはおもえないでしょうか。

ダルちゃんは「実生活にどういうはねかえりがあるか、無自覚」だった。抑圧のされ方は非常に現代的というか疎な感じですけれども、まあまあある意味耐えているというか、ちゃんと人として生きてるんだとか生きてないんだかよくわかんないけどやったら苦しいなあみたいな人生だったわけです。そんな女の子が男ヒロセと抱き合ってしまったのだからそりゃもう詩を書く事に夢中になるのも致し方ないのかもしれない。身体がボンバボンバして跳ねる改造車みたいになってるんでしょう。先輩も応援はしているがまさかそっち方面にいきなり行くとは想定していなかっただろうし。先輩はことば道も辞さないような過去を持っているので素直によろこんだのでしょう。ダルちゃんも一応投稿直後に身悶えしているので詩を投稿する際のかぜの諸症状はちゃんとでてるっぽいのでそのへんはもう経験を積んで会得していくタイプの失敗じゃなかろうかとおもいますがそれにしてもダルちゃんの暮らす世界の文月さんや高橋さんもじゃっかん底意地が悪いというかちゃんと「現実へのはねかえりを考慮する」タイプではなくてそれを依り代としてガンガン世に問うカルマの杭打ち機みたいなところが怖いですね。「選者」というのも共犯関係(社会に帰りにくくする)なので詩を掲載する前にこの黒田三郎さんの一節を毎回支給するぐらいのことはしたほうが良いのではないか。冷却期間を置いてそれでもここに詩をおきたいのなら…と猶予をもってもよいのではないか。というかダルちゃんが詩の掲載をヒロセっちに打ち明けた時点で覚悟してると思ったのだが、かなり想定外そうだったのが意外だった。それがダルちゃんのダルちゃんたる所以なのかもですが…




6.


私はなまぬるい男として黙っているので、やらかしてしまった彼女に対し、やらかした彼女の狼狽に、ハッキリ言って、超溜飲が下がったのでした。じゃあ私はどうしたかったのかというと、たぶん「やらかしたかった」のだろうな。承認とか、愚行権とか、やらかしてみたかった。でも私も、水位を下げてみれば、まぁ、やらかしてないとは言えない、やらかしてないこともない。

どこかでやらかすことの天秤、サステナビリティ、社会との抵触やバトル、将来性、才能、勝算などを勘案し、総合的に「やらかさない」判断をした。あるいはそれらがいちどでもやらかしの防波堤を越えなかったので、私は助かっていて、助かっている自分を肯定的に見ることは未だにできていない。それは才能的にではなくて、ひとりの人間として、見ることができない。

だが、この才能的な部分と、ひとりの人間として、の部分のコネクタを繋ぎ変え肯定感を得るという、冒険()ぐらいはしてみてもよかったのではないかというのが、ちょっとした後悔だ。ダルちゃんはこれを自覚ナシに行って才能部分での肯定感を得る前にひとりの人間としての肯定感を得ようとして、タイミング的にほぼ同時に打ち明けてしまった。掲載を確認して、自分の中に起る感情を確認してから、報告するか、書いて投稿する前に相談するべきだったのかもしれない。ダルちゃんに足りてなかったのはホウレンソウなのかもしれない。

何者にもなれないって、なんとなく自分の中でキーワードだ。ニフティサーブ等のパソコン通信から詩を始めている人で詩で食っていこうという人は何人いただろうか。もっと弁えて仕事と詩を分けてそれでも良いものを書いている。何者にもなれなくてもまあいいかと思えるようになることと、目の前の人に嫌われたくないので自己実現を棄てるっていうのは交差点で一瞥くれるぐらいには親和性があるのだと思う。




7..なまぬるい男


なまぬるい男から視える風景というのはシロクマの屑籠に代表されるインターネットやテキストブログ文化を見て育ってきた、中年にさしかかる男としての心情と少なからずかぶる。インターネットをしながら何かをネットで綴りながら生きてきたおっさんの謎の親近感みくびんなや、という部分。リアルガチで会う事は10%ぐらい、文学フリマかポエケットでツイートを見てタイミングがあえば会釈するぐらい、時間にして約2分。
邂逅って言葉なようで、そうでもない
よくぞご無事で!シュタ
ネットで詩を書きながら生きてきた

詩のつくり方から抜粋すると「男性の場合ですと、巧拙の差はあっても、年配者には多少の心得があって、かくものも実生活の常識からあまり逸脱しはしません。」ここです。つまり常識から突き抜けることはできなかったし、それが(ひょっとしたら)できそうなときも(誰かを守るために)方向転換して生きてきて、まあ、いまそんなにまんざらじゃないなとおもえる。ちょっとだけ見晴らしのいい、小高い丘にのぼったような。ダメダメだと思いこんでいた自分みたいな人間の試行回数が少し減っていって、今がちょうどバスタブ曲線の底のところじゃないかなあ、みたいな。バスタブ曲線をひっくり返した小高い丘にいるのかもしれない。小高い丘でぽつっとしている点在中年を私は「げぇんだいしぃ〜↑」という観光望遠鏡で見ようとする。ここはまんざらじゃないけれども昔触った言葉をもういちど触ってなにか生み出せるもんかな、そういう中年男性のたまに触る言葉の手触りに慕情がある。



8.HUNTER×HUNTER


HUNTER×HUNTERのグリードアイランド編にゲンスルーというキャラクターがいて、リトルフラワー(一握りの火薬)という念能力が使うのだが、これは「手のひらで掴めるものを爆破するという念能力」であり、なぜ手のひらをやけどしないのかというとこれは「手のひらを爆発のオーラより強いオーラで覆うことによって」やけどしないのである。詩の作り方の「ご近所のかたがよんでもだいじょうぶですか」っていうような、周囲が心配になるような詩は、手のひらを覆うオーラより爆発のオーラのほうが強いので、手が吹っ飛んでしまうので心配だということだ。

手のひらのオーラと爆発のオーラというのは、自分の立場VS表現という部分があるかもしれない。その計算は勝算というか、で、実際問題それで壊れてしまう人や、もっと早い段階で社会適応を目指したり、はたまた持ち前のバイタリティや同じ表現者の方たちと支え合って生き抜いたりできる場合もある。手を覆わずにリトルフラワーを使った人はだいたいTwitterが更新されなくなるか、滞りがちになるでしょう。あとはおそらく一生感情がスリップしつづけて体勢を立て直すのに苦労する生涯を送るでしょう。だから表現者のやっていることをフォロワーとして身一つでやるまえは、必ず自分がリトルフラワーで爆発より大きいオーラで手のひらを覆えるかを意識して始めないと、回復できない傷を負います。

さっきの「あ、いいなぁ」っていうのは正直ざまみろっていうのもあるかもしれない。ということは羨望があるのかもしれない。あそこに突っ込んだ人の正直な一般的な反応をみた気がして、溜飲がさがってしまったのだとおもう。「やっぱりそうなるでしょ?」という気分。それだけじゃないが、それもあるなとおもった。


全域的に
ぜんぶしっかり手離せばまた、
なんて思わない
もう
切符は使い切りたしかに
足は路上に突き刺さり
等間隔の街灯になる


LEDはちいさいですねー
(信号も薄い!)






わしが詩ぃて! なぁ?
詩ぃて!


自由詩 ひふなろ白書 Copyright nemaru 2018-07-29 01:04:31
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