死刑の周辺
一輪車

死刑を廃止したいという人たちの気持ちはわかる。
だけどわたしは、(長生きしてきたせいで)
死刑廃止を叫んでいる人たちの多くが沈黙している人たちよりも暴力的であることをよく知っている。

かれらの非人間的な欺瞞行為を文章で批判したため、白昼、半殺しの集団リンチにあったこともある。さいわい失明は逃れたが頭と目を十数針縫った。

花屋の店員さんが一部始終を目撃していたので警察が動いたが、中心人物を逮捕に向かった刑事たちは逮捕寸前に公安課からの命令で行動をとめられた。

公安課を動かしたのはわたしを集団でリンチした活動家たちのバックにいるカソリック系キリスト教会の神父だった。

NHKの教養番組で「現代のキリスト」とまで言挙げされたこの神父は大阪のスラム街で炊き出し活動を行い、全国の信徒にその活動状況を小冊子で配布して毎年、莫大な寄付を得ている。

毎日入ってくる寄付金や衣料、本、電化製品、食料、米などを仕分けするために、もと暴力団員の男をリーダーにして三階建てのビルの一、二階を借り切って作業するほど忙しい。

ただし、本の選別だけは神父の片腕の、もと暴力団員の男が行う。本の間に寄付のお金が入っていることがよくあるからだ。

選別作業は一人や二人では間に合わないので、神父の志にうたれた心優しき信徒たちが無償でお手伝いに来ていた。
お手伝いに来ていた真摯な信徒たちの一人がある日、精神に変調をきたしてしまった。
聖心なこころざしに感動して手伝ったのに、やっていることは薄汚い泥棒行為とでもいうべきことだったからだ。不幸なホームレスのために送られてきた金品の99%をふところにする行為、その矛盾に打ちひしがれ、精神的な異常をきたしてしまったのだ。

そのことを非難してわたしはこの神父につめよったことがある。リンチを受けたのはそれからしばらくたってからだった。
リンチくらいですんでまだよかった。殺されたボランティアの女性医師もいる。変死ということになっているが、わたしは神父を非難して殺されたと考えている。
(この事件は当初、警察によって強引に自殺扱いされたが遺族の奔走によって警察の「自殺」という断定は翻った)

わたしがいつも怖れるのは理念(「死刑廃止」「慰安婦」「南京虐殺」など)を叫ぶ人たちの盲目的な凶暴性と残忍さだ。
たとえば慰安婦、南京虐殺とセットで死刑制度を厳しく批判している作家で詩人、辺見庸のブログを開いてみると次のような憎悪にまみれたことばが踊っている。

2018年06月01日
不正必勝
◎不正はかならず勝つのだ!
あのクソのなかのクソ野郎が不起訴だと!不正は正義である。........
http://yo-hemmi.net/article/459717294.html?seesaa_related=related_article

これは森友文書改ざん騒動の矢面に立った佐川前財務局長のことをいってるのだろう。それにしても「クソのなかのクソ野郎」とは? このような妄想ともいえる憎悪の感情の根拠はどこから出てくるのだろう? 
少なくとも辺見が佐川を「クソのなかのクソ野郎」と罵倒できる明白な証拠や根拠は、一ミリだって持ち合わせていないだろう。

わたしにはこのような凶暴な心域をもつ男の「死刑廃止」論がまったく理解できない。

一昨日の記事では辺見のこの妄想はいよいよ亢進している。わたしを集団リンチした連中のごとく平気でだれかれなく「死刑」しかねない勢いだ。

  2018年07月08日
  暴力の母型

  ◎いま、なにが到来しているのか?

  ニッポン型の大量処刑は、不可視であるがゆえに、幻想のなかに
  あるしゅ爆発的なスペクタクルを展示してみせた。民主主義は、
  そのなまえを僭称したまま、未聞かつ最悪の暴力的専制と化して
  いることを、おそらくは故意にさらけだし、そうすることにより、
  まつろわぬものたちをはげしく恫喝したのだった。

  人民の多くは、国家による殺りくに酔いしれた。政治から排除さ
  れているルンプロ的人民たちも、政権の〝英断〟に拍手をおくった。

そんなバカなことがあるか。
わたしたち国民大衆が「国家による殺りくに酔いしれた」と辺見は書いているが、酔いしれていたのは辺見のような死刑廃止論者だけだったとわたしは思っている。











散文(批評随筆小説等) 死刑の周辺 Copyright 一輪車 2018-07-10 05:25:41
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