きみはなにに殺されたんだろう
田中修子

きみはなにに殺されたのだろう。

この日付、六月二十六日という日付のほんとうすら私はもう忘れつつある。きみの命日そのものだったのか、それともきみが死んだことを私が知った日だったのか。

おそろしい、と思う。時が流れるのはやさしく、かなしく、そしておそろしい。ぞっとするような気分になる。
私は毎日きみのことを思い出していて、けれどそのたびに死にたい気分になることもなくなった。

この日、私は過去に戻る。過去に戻って、ひとつひとつのことを考え直す。

それでもこのことを、こんなふうに書く日がくるとは思わなかった。淡々と、まるでもう終わってしまったことのように。わたしのからだにはあの日たしかに穴が開き、その虚無にずっと吸い込まれてしまった気がしたのに、いま、くりぬかれた空白のまわりの線を、どこかにむかって説明している。

あの頃の記憶は血の色だ。一滴ずつ、ポタリとあるのを数えていく。

「死のうかと思ってるんだ」
きみは何回も笑いながら言っていた。
「私もそう思う」
私もそう言ったしほんとうにそう思っていた。きみは私を称賛した。
「そのまま自殺できるよね、修子さんは。そうしてほしいな」

「わたしもヴィジュアル系すきじゃないけど、よろしく」
「会おうか」
「電話代がさ、かかるの。好きな人に電話すると。月三万円」
「修子さんのサイトデザインいいね。わたしのサイト作れる?」
「アルバイト、300コくらい応募したけどさ、家が山奥でバス代のほうが多くかかるからさ、通えないんだよね」
「へー、ウィスキーってこんなに酔うんだ」
「精神科で、医者に椅子投げたんだ。そうしたら薬増えた」
「んー、弟がさ、なんてか、ふつーに育ってくんだよ。父親がアル中で暴力ふるってきて、わたしが高校に行かないで守ったんだけどさ、彼女もできてさ」
「母がさ、親戚の家行けって。宗教の上のほうの人で、えらいから、預かってくれるらしいよ。行きたくない」
「わたしビアンだし、結婚しないでいいから子どもだけほしいよ。そしたら生きられる気がする」
「詩人になりたい。出版社にいっぱい応募したけど、みんな落ちた」
「おばあちゃんが死んだ」
「好きな人がさ、なんか家族で夜逃げするって。でもどうしても逢いたいんだ、理由聞きたいんだよ。一緒に会いに行くのについてって」
「二十歳に死んだら天才になれるかねぇ」

そうして二十歳できみは死んだ。
いまの精神科ならば出さない致死量のある薬を飲んだ。
黒い流れるような髪と、まるで吸血鬼のようにとがった白い八重歯をおぼえている。
私たちふたりはこころのかたちがよく似ていた。あの頃家にいられなくて、かといって家から出ることも恐ろしくてたまらず、けれど家に帰らないことも許されず、生ぬるい日々の中を窒息しながら漂流しているように生きていた。

母に似てきみを愛さなかったその恋人のつぎくらいに、私はきみのことを知ってたんじゃないだろうか。

たくさん私にサインを出してたんじゃないか?
いや、出してたじゃないか。

きみがからだをなげだしてきみがまもった家族も、きみの親戚の宗教の上のほうの人も、人助けが趣味の私の両親も、きみを見落とした。
私も見落とした。

金が、地域性が、学歴が、酒が、あわない精神科医と投薬が、宗教が、セクシャリティが、なりたかった職業が、祖母の死が、恋人との別れのタイミングが、年齢が、もしかするとろくでもない私という友人との出会いが、きみを殺した。

この世でいちばん不幸だと思い込んでいた私の頬を、きみの死がひっぱたいていった。

アルバイトできていたこと、からだを本格的に壊したときに両親がかけれくれた金、精一杯診てくれている主治医、そのほかのたくさん。
私が生きているいまここにたどり着くまで、どれだけの分岐点があったろう。そもそも産み落とされた場所は選択できなかったろう。

なぜ?
私ときみとの違いはなんだ?

私はたしかに、ふつうの幸福な人生を歩んできたとは言えないし、よく死ななかった、というくらい、いっぱい、ろくでもないことがあった。だれかにきみを投映して、ほんのすこし助けたつもりになって、だれのことももほんとうには助けなかった苦々しさ。

けれど、この日を迎えて、このようにひきつる指でもちゃんと動くこと。
ひたすら息をしてきて、枯れていく花を見て、死んだ鳥を、そうしてずうっと私の上には空があった。ほんとうに限界のときには海を見にいって、そうしてなにもかも思い直した。
いま、花の蕾や満開の様子を喜んでみられて、鳥のうれしそうな囀りや羽ばたく音を耳にできる。
毎日ほどほどに家事をできて、詩を書いたり縫物をしたり趣味のことさえできるようになって、食事がうまくて、やはり、うまくは言えないが、すごいことだと思う。

だれかに、「あなたは幸運だったのよ」と軽々しく言われたくない。だれかに「こんなに悲惨な子もいるのよ。あなた恵まれてるでしょ」と言いたくもない。
「救いを」「鬱なんて生きてたらなんとかなる」「弱者や貧困層にスポットライトをあてて」なぜだか分からない、ほんとうに吐いてしまいそうになる。

それでも、私にできることはないか? なにを通してできるんだ?

思い出した、君の誕生日はバレンタインデーだった。

ひたすらに、きみの空白が残るだけ。私はそれを書くだけ。


散文(批評随筆小説等) きみはなにに殺されたんだろう Copyright 田中修子 2018-06-26 01:24:35縦
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