失くしたらくがき帳
田中修子

ずいぶん歩いて歩いて、ひざこぞうはすりきれて足ひきずるようになったよ。
いくど、ここは果ての先だ、と思ったことだろ。

らっぱのみしたワインの瓶、公園のひみつ基地のしたでねむった夜、あったかそうな飲み屋でカクテル飲んでる外国人のすこしぶれたタトゥーが泣けるくらいまぶしく見えた。

ガッコってへんだ。個性的になれっていうから、うんとうんと本読んで文芸部の冊子にけっこういいのを書いて嬉しくなって先生に見せたら「ふーん、いいんじゃない」褒められたあと「でもさ、こういうのやるのって大学行ってからだよね」って釘をザクっと刺してくる。「そっちが本音ですか」ってきいたら「考えすぎ」。

どうしたらいいんだい? 笑いたくなっちゃうじゃんか。

化学反応の青色のきれいさとか、日傘は黒よりは白のフリルのついたほうがやっぱいいし、髪をどれだけまっすぐさらさらにできるか、なんてことをずうっと話してたあの子はきゅうに、「勉強していたらなにも考えなくてすむから」って。

-屋上
うっすらと寒い風、白い雲、青い空
反対側には都庁
たったひとり-

そんなふうな呟きをノートにらくがきしていたあの子の横顔はほんとに、いまだ目をとじて薄暗闇に浮かび上がらせるほど、きれいだったのに。

大学行って、働いて、眠れなくなって、落とし穴に落っこちて、そうしていま、這いあがって、また。
ぼくは、なにひとつかわってやしない。
いまだ、背の伸びるような骨が軋む音がする。
そんなの、よくないのだけどね。ぼくの、このおさなさは、じぶんですらひどく気味のわるい、こっけいじみたものに思えるときもある。
(ほんとはちょっとずつ、背骨の折れてる音だったらどうしようか。
コキリ、コキリ、コキリと澄むような。歩けなくなったら? そのときはそのときさ、さらさらの骨もけっこう砂みたいできれいさ)

……おとなになったからとて、なにかうつくしく、すばらしいものになるわけでは決してなかったのだ。やりがいのある仕事や勉学にすべてをなげうち、家庭を持ち、芸術を愛し、人のいうことにおだやかに耳を傾け、正しい決断をするひとになれるようなひとはごくわずかだった。また、そういうふうにみえる美しい庭のある家に住む子どもがまた、いたましく傷つけられていたりする。
ぼくが知るのは、おとなになるにつれて何かしらとてもたいせつなものを失っていくことがある、ということだ。失ったものの取り返しのつかなさを知って、ぼくはなんだか自分が死んでしまったような気分になるほど、あんまりおおくを失ってきてしまった。
それでも、ピンクと青の入り混じった夕暮れに染められた雲が浮いているのを見るときに、ああ、あまりにも凄絶なものを見た、と息を飲むことがいまだにある。雨だれがひとしくつややかな緑の葉をうつような、もしかしたらもう二度とすれちがわぬ友とのこころやすらぐひとときをおもえば、すべてが黄色い煉瓦の小道……

手のひらを貝のように丸くして耳をふさぐと、海の音がする。

胸のあたりが淡く靄がかって、息苦しいから心臓を引きちぎってたたきつけて、赤く破裂したのを、蝶の標本みたいにきれいに、あの子との想い出にして。

ぼくにはそうやって、こころにしまってある失われたらくがき帳が、うんとたくさんあった。


自由詩 失くしたらくがき帳 Copyright 田中修子 2018-06-23 01:02:40縦
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