幽霊と虎
片野晃司

それから空は夏雲湧き立ち、風は川を越えて丘を越えて、それから線路を越えて団地を越えて、それからあの家の窓を抜けて、あの白い壁の部屋をぐるりと回る。部屋には檻があって虎がいて、虎は檻の中で待っている。誰かが玄関をあけて廊下を抜けて虎の檻に入っていって、虎に組みしだかれて引き裂かれてばらばらにされて食べられてしまう。ぼくはその湿った物音だけを壁の影になって聞いている。また誰かが玄関をあけて廊下を抜けて虎の檻に入っていって、虎に組みしだかれて引き裂かれてばらばらにされて食べられてしまう。ぼくは虎の荒い息遣いと引き裂かれる誰かのあえぎ声を部屋の隅のくらがりになって聞いている。またぼくの知らない誰かがやってきて引き裂かれて、またぼくの知らない誰かがやってきて引き裂かれて、それからまたぼくの知らない誰かがやってくる。

食べられるのがぼくだったらよかった。頭からでもつまさきからでも食べてくれたらよかった。ぼくをばらばらに引き裂いて、ぼくのはらわたを引きずり出して、床の上できみが食べてくれればよかった。ぼくの大切なすべてをめちゃくちゃにしてくれたらよかった。きみがときおりしゃぶる骨のひとかけらがぼくの骨ならそれでよかった。部屋には檻があって虎がいて、誰かがやってくるのを待っている。

夜になると背骨が痛んで、脊髄は川を越えて、骨盤は丘を越えて、肋骨の奥が痛んで、追いかけて、何度も吐いて、炎を搾り出して、それからぼくの胸を内側から引き裂いて虎があらわれて、ぼくのぬけがらを飲み込んで、きみの白い壁の部屋でぐるりと回って、それから虎はきみを組みしだいて引き裂いて、きみの部屋を引き裂いて、きみの大切なすべてをめちゃくちゃにしてしまって、それから虎は檻の中できみを思い出している。

虎は檻を抜けて、あの部屋をぐるりと回ってからカーテンを少し揺らして窓を抜けて、団地を越えて線路を越えて風のように駆けていって、丘を越えて川を越えて、それから空は夏雲湧き立ち、あの白い壁の部屋には檻があって、その中でぼくはいつまでも待っている。



Hotel第二章 第四一号 二〇一七年九月


自由詩 幽霊と虎 Copyright 片野晃司 2018-01-01 04:57:50縦
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