血と百合の遁走曲
佐々宝砂

墓所

朝な夕な花を捧げる、
深紅の薔薇ではなく、
白い百合を。

ただひとつだけ、
海に背を向けたその墓。
没年は百年前かあるいは二百年前か、
墓石の文字は薄れて読めない。

なぜ心惹かれるか知らず、
疑いも覚えず、
ただ心惹かれるままに、

彼女は花を捧げる、
刈りとったばかりの、新鮮な、
露に濡れた白い百合を。




早朝の弥撒(ミサ)

賛美歌を耳にしたとたん、
彼女は叫び声ひとつあげずに倒れた。
明け方前の弥撒ははじまったばかり、
彼はまだ説教台にあがっていなかった。

床に落ちた聖書と百合。
抱き起こそうとする腕。
首筋にくっきりと刻印された紫の傷跡。
彼女から少しずつ離れてゆく信徒たち。
ざわめき。

まき散らされた百合は拾い集められ、
捨てられた。
彼は弥撒を中断し、
人々に口止めをした、

しかし今日のうちに噂は広まるだろう。
村は小さく人々は娯楽に飢えている。




誘惑

しかし私はあれを拒めません。
むしろ毎夜私はあれを待っているのです、
あれがやってきてはじめて生きていると感じるほどに。

まず犬の遠吠えで目が覚めます。
それから胸が悪くなるような臭いがするのです。
息苦しい、と思うと同時に、
胸に重みを感じます。
それから首に冷たいものが触ります。

すると私は何がなんだかわからなくなります、
いろいろなことが突然に変わってしまいます、
むかつくようだった臭いは甘く重い薔薇の香に、
喉に押された冷たいものは甘く熱いくちづけに、
そしてそのあと私は泥のように眠ってしまいます、
朝がきても目眩がして起きることができません。

今朝は無理矢理に起きてみたのです。
このところずっと弥撒に出られませんでしたから。

夜に目覚めるようになったのは、
あの墓に百合を捧げてからです。
海に背を向けたあの墓です。
なんとはなしに私はあの墓が気になっていました。
小さなころからです。
けれど百合を捧げたのはつい最近のことでした。

ねえ、神父さま、
淋しい墓に百合を捧げることがいけないことでしょうか?
私にはどうしてもそうは思われないのです。

どうか、お願いです、神父さま、
私を愛しているとおっしゃるのなら、

その首筋にキスをさせてください。




祈祷室

夜の祈祷室。
野イバラの蔦にいましめられて木のベンチに眠る彼女。
蝋燭の明かり。
窓辺にイチイの暗いざわめき。

彼は待っている。

流れる赤い血を持たぬ屍が、
なぜ血生臭い霧とともに現れるか?
死して久しい屍が、
なぜこれほどにひとりの女を魅惑するか?

彼は待っている。

用意するべきものは用意した。
大ぶりのナイフ、生のニンニク、
祈祷書、聖水、ケシの実、
そして鋭く尖らせたサンザシの杭。

彼は待っている。

誘惑のときを?
対決のときを?
否、拒絶のときを。




再び、墓所

母親の嘆きを彼は慰め得なかった。
どうしたら信じられよう、
桜色の頬と深紅のくちびるを持ち、
しかも夜になれば目覚める娘、
その娘がもうこの世の者でなかったと。

彼はすべてをひとりでやってのけたので、
疑う者も多かったのだ。

しかし彼は根気よく語りみなを納得させ、
海に背を向けた墓を暴いた。
そこには一人の男が眠っていた、
たった今死んだばかりのような顔色で、
深紅のくちびるから赤い糸をひいて。

だから彼はまたサンザシを削らねばならなかった。




みたび、墓所

彼女は古い墓所に小さな地下の室をみつけた。
埃に埋もれてふたつの柩があった。
長たらしい墓碑銘は彼女の手に余った。
ただ女の名だけが読みとれた。

私と同じ名前だわ!
小さく叫んで、
彼女は百合を捧げる。

彼女に手をひかれてやってきて、
まだ若い神父が墓碑銘を読んだ、
彼女は内容をとても知りたがっていたのだけれど、
彼はどうしてもそれを伝えることができなかった。




墓碑銘

死者のために、また、生者のために、
なんぴともこの者らに触るることなかれ。
キリスト再臨のとき到るとも、
清き百合を捧ぐるなかれ。
父と子と精霊の御名によりて。




エピローグ、彼

象徴的に屹立する塔の先端、
閉ざされた部屋に彼は横たわる。
寝床にはやわらかな布も肌もなく、
ただ冷たく並ぶ鉄の針。

灰色の壁、灰色の床、
目を楽しませるものは何もない、
無機的な空間で彼は祈る。
死語で。文字通り、死んだ言葉で。

  赤く濡れた傷口から流れ出す、
  生命の潮よ、
  約束を口にするな!
  それは神にのみ許されてあるもの。

  ただ簒奪することしか知らぬくちびるよ。
  キリスト再臨の時到るまで、
  目覚めることなかれ、
  父と子と精霊の御名において!

  薄明の墓所の地下、
  暗黒の柩に眠る青ざめた頬よ。
  おまえは死ぬことがない。
  しかしおまえは生きたことがあったか?

いずれにせよ百合は冒される運命にある。
彼が敬虔に祈るとしても。
聖書を掲げ、聖水を撒き、
サンザシの杭を尖らせるとしても。

さて、読者よ、物語も終わりに近い、
お気づきかも知れぬが秘密を告げておこう。
さよう、サンザシの杭は牙と同じものなのだ。
彼がそれを知ろうと知るまいと。

  私は眠りたいのだ。神よ。
  平安を。眠りを。
  この私に。

濃い霧のなか誰かが嘲笑う。
インキュバスか? 悪魔か?
魔女か? ラミアか?
いや、違う、


  彼女だ。


――吸血鬼たちへのオマージュ、あるいはある詩人への挑発的恋文


自由詩 血と百合の遁走曲 Copyright 佐々宝砂 2017-12-13 22:21:47
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