アメジスト
やまうちあつし

この石の中では
絶えず雨が降っている

そう言って一粒の小石を
娘の手のひらに載せた
その人は叔父だった
いつでも青いマントを着ていた

血の繋がりはないけれど
とある出来事があってから
そういうことになったのだった

紫色の輝きの中に目をこらすと
確かに無数の雨粒が
絶え間なく降り続けている

見ていると吸い込まれてしまいそうで
娘はあわてて顔を上げ
男の顔を見た

「その石は私が
 ある国に住んでいたときに
 偶然出会った物だ
 一目見て虜になった私は
 それを我が物とするため
 あらゆる手を尽くした
 あらゆる所持品を売り払い
 あるだけの財産をつぎ込んだ
 積み上げた仕事も
 名誉も信用も
 何もかもなげうった
 ついには自分の国籍も
 名前も譲り渡して
 やっとのことで手に入れたのだ
 その石を手にする代わりに
 私は何者でもなくなった
 それでよかった
 それがよかった
 その石の中で降り続く
 雨を見ているだけで
 私は何者でもよくなってしまった」

男は紅茶を一口飲んだ
「君にあげよう」

娘はその石に
たまらなく魅了されながら
同時にそんな大事な物を
もらえないとも思っていた

だってあなたが
何もかもかなぐり捨てて
やっと手にしたものでしょう
私たち
血がつながっている
わけでもないのに

男は言う
「私はこの石と数十年を共にして
 毎日石の中に降る雨を眺めてきた
 いつしか雨は
 私の中でも降り注ぐようになった
 私の命が尽きるまで
 雨は降り続くだろう
 今の私は雨を盛る
 器にすぎない」

「人は一生の間に
 なにもかもなげうって
 手に入れたいものと出会ってしまうときがある
 あるいは私は
 一生を棒に振ったのかも知れないが
 それとて同じ人生だ
 君もいつの日か
 そんなものが見つかるかも知れない
 その時が来るまで
 この石を持っているといい
 君の代わりに
 この石はいつでも
 雨を降らせ続けるはずだ」

男は席を立ち
娘に握手を求めた
娘は少しためらいながら
男の手を握り返す
手を離す時に見えた
男の手のひらは
紫に染まっていた
年がら年中
この雨の石を
握りしめていたからだろう
少女は自分の手のひらも
紫色に染まってはいないかと
男に気付かれぬように確認したが
手のひらは桃色のままだった

男が去った後
喫茶店のテーブルで
娘は雨の降る石を眺めていた
降り注ぐ雨粒を見つめていると
石の中に別のものの影があることに気が付いた

街だった
高層ビルや平屋の民家や
町工場や駅や教会
大小さまざまの建物が
雨にうたれているではないか
それは娘が生まれた街のようでも
未だ見知らぬ街のようでもあった

とうに冷めてしまった紅茶を飲み干すと
娘は席を立ち
店を出た

外ではいつのまにか
雨が降り始めていた

娘は傘を持ってなかったが
そんなこと気にもせず
雨の降る街の中へ消えて行った


自由詩 アメジスト Copyright やまうちあつし 2017-12-04 21:12:12
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