ジャンヌ・ダルクの築いたお城 少女Aとテントウムシ
田中修子

 私は1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の犯人、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aが好きだった。少年Aは当時14才で中学生という報道で、私は当時12才で小学6年生か中学1年生だった。彼も私も、とびきりの条件付きの愛のなかで生きていた。あれだけ派手な事件を起こし、「私はあの子の母親をいっしょうけんめいやっていたのに、あの子がちゃんと育たなかったなら、私があの子を育ててきたあの時間は、いったいなんだったんでしょう」そんなふうに母親に言わせた彼に拍手喝采だった。
 私がいくらいい点数を取ってきても、あの女は満足しなかった。そのわりにあの女は、あの女の友人のダウン症の子は好きだった。私はふしぎに素直なその子を好きだったが、「エンジェルみた~ぁい」とあの女がいった瞬間、自分の心の中によくないものが芽生えたのがわかった。なぜ私はいっしょけんめい勉強しても怒鳴られるのに、この子は生きてるだけでエンジェルみたいと言われるんだろう。だいたいエンジェルってのはひどく宗教的な発想だ。
 少年Aが被害者の1人に知的障がいのある子を選んだ理由がよくわかる、気がした。

 小学5・6年生のころから、おばあちゃんが脚を悪くして弱りはじめ、寝たきりになった。たぶん私の心もそのころから寝たきりになって、さいきんやっとまた歩き始めた。

 ひとさまをまきこむ気はなく、家族みな殺し、をどうやってしようか毎日ふらふら妄想していた。おばあちゃんは首を絞めて楽にしてあげよう、きっとわかってくれる。父と母と兄は不意をついて心臓をひとつき、いや、どうも肋骨が心臓を守ってそれでは遂げづらいらしいから首の動脈だろうか、とか。

 おばあちゃんと両親と兄と私、誰からみても幸せな5人家族だったころである。おばあちゃんは、母の母だった。

 「はよう死にとう。はよう死にとうんや。ご飯たべられへん。食べられへんのや、喉のここまであがってきとるんや」耳に沁みついているおばあちゃんのうめき声だ。「はよう食べて! 食べきらんとうちの成人式の晴れ着見せたげんで。ばあちゃん見たいんやろ? 残したらばあちゃんが元気でもぜったい見せたげんわ」おばあちゃんの介護の一部をまかされている小学生の私は、そんな風に言ってスプーンで食べ物をおばあちゃんの小さくなった口につっこむ。

 おばあちゃんの部屋は、むかしはすてきな魔法の部屋だった。

 障子をとおして透き通ってチラチラ白くひろがる陽の光にあたるこうばしいような畳の匂い。朝起きてたたまれ、夜寝るときに敷かれるおふとん。あれはヒノキだったろうか、白めのこじんまりした箪笥。箪笥の着物が入れてある段からは人工的だが清潔な防虫剤のにおいがして、せがむとときおり見せてくれるビャクダンの扇子の、ものすごくくさいようなものすごくいいにおいみたいな不思議なかおり。こっそり私にくれるザラメせんべいとか、透き通る宝石みたいな純つゆの飴おやつがいれてあるプラスチックの箱があった。
 
 いまは、小便と糞のにおいがする。

 「はよう死にとう。はよう死によう。もう食べられへん。喉のここまであがってきとるんや」

 ごめんね、本当にごめん。私にはどうしてあげることもできないの、おばあちゃん。勉強を拒否すると、あの女が私にこうわめいてくるんだよ。
 「修子ッ、アンタ勉強しないんだったらサッサとこの家から出てけ! あんたみたいなの社会じゃやってけないんだよッ! あたしのいうこと聞けなかったら、野垂れ死ぬだけだねぇ」「子どもは親のものなんだから、自由になりたかったら金払え」それからまたこんなこともいう。「いいか、ご近所さまに家の中のことしゃべるんじゃないよ。あんたがいちばん困ることになるんだからねぇ」 

 私は小学生のころからよく首吊りをこころみていた。失敗しているけど私の身は私の身だ、やろうと思ったらいつだってできるだろう。赤旗を読んでも、両親の日常会話でも、どうも大人になってもロウドウシャツカイステみたいだし、よくてカクメイ悪くてセンソウがおきたりしてお先まっくらみたいだし、極楽だの地獄だのはサクシュされる人が作り出したあわれなゲンソウにすぎないみたい、死んだ方がぜったい楽だ。
 でも、いま、あの女の命令にさからって、おばあちゃんがおばあちゃんのご飯を食べきれなかったら、私だけじゃなくおばあちゃんまで叩きだされて野垂れ死んでしまう。私はなんだって困らないけど、おばあちゃんは悲しい。それなら一緒に死んであげたい、楽に殺してあげたい。あの女はご近所さまに対して困るだろう、それなら私が一家みな殺しの犯人になって最後に自殺したらハッピー・エンドだ。
 ト、小学生の私は思っていた。

 「はよう死にとう。はよう死にとう」
 哀願する大好きなおばあちゃんの口にスプーンを突っ込める私は、頭がおかしい。本田勝一の「南京大虐殺」に出てくる日本兵みたいだ(あとで本田勝一の本の多くにねつ造が指摘されることを知った)。
 5人家族の幸せなこの家で、いちばん死にたがり、いちばん頭がおかしく、いちばん頭が悪く、死ぬ可能性の低いのは私だった。おばあちゃんはきっと極楽にゆける。あの両親よりおばあちゃんが教えてくれた、極楽浄土ってとこがあるってのがぜったいほんとだし、私がおばあちゃんを大好きだし、おばあちゃんは苦労してきたから、きっと極楽にゆける。
 だからやっぱり、家族殺しはやめだ。とりあえず私を殺そう。そんなふうに思うようになった。

 ある日、おばあちゃんは、どうしても洗濯物を二階のベランダに干しに行くと言ってきかず、洗濯かごを抱えて階段を上がっていった。
 おばあちゃんはよろけた。下の段にいた私は、無我夢中で、おばあちゃんに飛びついた。飛びついたのは、おばあちゃんの脚だった。おばあちゃんは、ゆっくり階段を落ちていった。落ちていく途中、灰色のかなしそうな目と私の目が合った気がする。次に覚えているのは、階段の下にグタリと倒れているおばあちゃん。それから、記憶が数時間ない。あの女が帰ってきて、おばあちゃんの部屋に行って、私も入っていった。おばあちゃんは自力で部屋に戻ったらしい。淡い銀色の髪の毛に透けて、紫の痣がドッサリ浮かんでいた。

 「なんで救急車呼ばなかったのッ!!」

 私が殺した。とうとう私が殺した。

 すぐには亡くならなかったけど、その頭の打撲が決定打になり、おばあちゃんは完璧な寝たきりになって、1年後、青い稲の揺れる季節に病院で息を引き取った。行きかえり、寒いくらい冷房のきいた電車の窓の外に、光る風に触れられて、稲がキラキラ嬉しそうに、青く青くはしゃいでる。
 真っ白な病室でピーという心停止の音が鳴ったとき、家族全員と、あの女の姉のおばさんがそろっていた。おばさんはワンワン泣いていた。父はしずかにため息をついてくるりと後ろを向いて肩を震わせている。兄はおばあちゃんの手を握り、無表情だがツーっと涙が垂れた。あの女は片目から一筋涙を流した(ことを、いま思い出した。あのひとにも感情はあったのだ)。

 私だけ、涙が出ない。ひとつぶも涙が出ない。いま、心臓が止まってここを去ろうとしているおばあちゃんの腕に触ることもなんでかできない。私は血も涙もない異常犯罪者だ。お望み通りの少女Aだ。完全犯罪をやらかしたのだ。

 その後、「はよう死にとう、はよう死にとう」は耳に沁みついてそのたびに自分を殴った。そのうちに体を傷つけ、そのうちに酒になった。
 おばあちゃんのいる極楽には行けなくても、せめて死んでお詫びをしたい。違う、本当は会いたいだけだ。今度こそあの女から守ってあげたい。またあのサラサラでシワクチャであったかくて乾いた手をつないで一緒に歩きたい。すべての四季を、おばあちゃんとやりなおしたい。
 
 ある時から別の理由でカウンセリング併設のトアウマケアを専門にしている精神科にかよって、薬が出るようになって10年になる。
 「はよう死にとう、はよう死にとう」というのが、幼い心で抱えきれず脳に傷がついた、フラッシュバックという症状というのも理解できてきた。そのくらい弱っている老人と小さな子どもを二人きりにするのがおかしいらしいということも分かった。あの女が死んでくれて数年、ほとんど薬がなくなったけれど、いちおうそれが聞こるようになれば、薬を再開することになっている。

 そうして私はこの頃、自分の体を傷つけたり薬を増やしてはならない事情ができた。
 ちょっと前、また「はよう死にとう。はよう死にとう」が聞こえた。もう、捕まえて罰せられたっていい。私は110番に電話をかけた。「祖母を殺したかもしれません」所轄の警察の電話番号を教えられる。「それはいつですか。さっきですか」「私いま、32歳で……小学生のときです」緊張していた年配の警察官の声がやわらいだ。「たぶん小学生の私は祖母が落ちるのを止めたかったんです、でも、とっさに脚に飛びついてしまったんです」私はなぜだかワンワン泣いていた。おばあちゃんが亡くなったときに流したかった涙だった。「大人でも介護中にそういった事故に対応できないことがあるんです。小学生のあなたはいっしょうけんめいだったと思います。それから、こういう仕事をしていますから、犯罪性があるか声を聞いていると分かります。あなたにはそれは感じられません。どうぞ、忘れて前へすすんであげてください。大丈夫ですか。いま一緒にいてくれる人はいますか」「大丈夫です。ありがとうございます」
 自分を追い詰めすぎないでください、なんてその人は言ってくれてその電話は終わった。

 国家権力とか国の手先、国の犬(犬はとてもかわいい)、とあの女があざ笑っていた警察の人。

 私はいま少年Aのことが理解できなくなった。それでいいんだと思う。

 「はよう死にとう。はよう死にとう」の声が聞こえなくなってきたこの頃、よく、「おてんとうさまに恥ずかしいことしたらあかんよ」とそれだけを毎日毎日静かに教えてくれたおばあちゃんの声が聞こえてくるようになってきた。
 こどものころ、「お天道さま」は「テントウムシ」のことかと思っていた。だから私はむかしからいまから、テントウムシをみるとなんとなくハッとする。
 ジャンヌ・ダルクが作り出したあんまりに大きく広い城の、深い闇の底に寒い寒いと凍えてうずくまる少女A。少女Aが気づかないだけで彼女のまわりを、ずーっと1匹のテントウムシがはたはた飛んでいるんだった。


散文(批評随筆小説等) ジャンヌ・ダルクの築いたお城 少女Aとテントウムシ Copyright 田中修子 2017-10-14 02:16:46縦
notebook Home 戻る