NOBUKO
吉岡孝次

I
切り抜けられるかNOBUKOさん
結論の下った炭鉱の島から
あなたは僕の行方を指し示さなければならないのです


II
21の夏
生まれたばかりのNOBUKOさん
雲が多い、ねずみ色の空が水平線まではみ出していた
猫が多い、木造住宅はどれも二階建てでひしゃげていた
海の色がよく見える岬の墓場が
十字架を父としてあなたを渡してくれました
僕と同い年の赤ん坊
抱きとめたのは僕なのに
見つめているのはNOBUKOさん
自分のことにばかりかかずらっている僕に
磯辺の小さな生き物をぬるぬると飲み込ませ
あのとき僕は受精したのかもしれません
島の頂上には展望台があって近くに軍艦島が見えるけれど
焦点を合わせるのは案外難しいことです
幹線道路は島を巡り
岩場に停めた自動車の中で恋人たちは腰をうねらせていましたが
保育園、商店街、組合集会所
僕は余所者だからあなた方には共感しません
そうして中腹の児童公園で
少しでもいい、深くなってくださいNOBUKOさん
卑俗な感傷性から愚鈍な教条主義から
白い指で良質炭を掻き出してください
麦わら帽を手で押さえながら
身振りを交える僕へと内実を 傾けて
「僕はね、ハッピーエンドが欲しいんじゃないんだ。
とにかく、明確な発端。これだよ、僕に必要なのは。」
「きみがヘーゲリアンだとは知らなかった。」
嘘ばっかり
「じゃあ、発端さえ与えられれば、あとは自動的に自己展開していくのかい。」
「そうじゃないんだ。今の状況を縮約したところから生まれる原型というものがあるだろう。そういう、混沌からの飛躍が欲しいんだ。」
「今度は、ベルグソンか。」
NOBUKOさん 目の前の海を見て下さい
「つまりきみはぼくに卵を産ませたいんだろ。でも 飲み込んだのはきみなんだし、この島に来ることを決めたのもきみだ。そもそもこの九州の空の下で・・・」
あなたを黙らせるには口を丸く重ねなければならないのだろうか
僕にも考えることぐらいはできる
だけど生むことは


III
東京 23才の誕生日を迎える冬
紀伊國屋ホールの喜劇にも
横浜そごうの展覧会にも
道は切り口は展望台は児童公園はなかったようです
それよりもNOBUKOさん
今はただあなたの
遠い生殖器に耳を当てたい
僕の部屋からは多摩川の丘陵に建つ
団地や家屋の灯りが船の窓のように夜空の裾を飾っています
あなたに見せれば
僕とは違う新しい海が広がるかも知れません
今年の夏 星にむせかえる島の空に包まれて
迎えたあなたの初潮
白く冷えた堤防に腰を掛け
足下をたゆたう波の音を聞きながら
一人血に濡れたあなたに
せめて
風景の悲しみ
その悲しみからたちのぼる切ない香気が
あなたを少女の昏迷から訣別させ
女の肌は水の国の月明かりに満ち
そしてまた今冷たい風が吹いています
聞こえますかNOBUKOさん
各国の政府は日々決断に苦慮しています
思索がだんだん疎ましいものになっていきます
努力はもう胸の太陽ではありません
教えて下さい
階級から生まれ階級から離れる僕が
天空のどこを叩けばあなたの真実を罵倒できるか
全ての叡智の故郷を訪ねるにはどれだけの耳を澄ませばいいのか


IV
NOBUKOさん
彼等の下した結論は今頃
あなたの島にも雪を降らせていることでしょう
そろそろ幼い思い出から離れられそうな気がします
もう答えを求めたりしません そのかわり
一緒に歌ってもらえませんか
静かに 明るい声で


  「父は十字架
   父は空
   父は
   一切の清浄な死」


自由詩 NOBUKO Copyright 吉岡孝次 2005-03-12 22:34:57
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