行ってきました詩集を読む会
ふるる

 先日、横浜詩人会のメンバーが作る詩集を読む会「渚の会」に参加してきました。というのは、参加している同人誌詩集『反射熱詩集 2016』が取り上げられるというので。同人3名含め詩人・歌人・俳人の総勢10名でした。

私は「オウ坂」という詩の感想や批評を色々頂いたのですが、「分からない」「詩として読めない」の声も多く、なるほど、分かる、というのはすごく支持されている?求められている?んだと思いました。ネットで書いていると、あんまりそういう意見が聞こえてこないから、実感として思い知りました。

私はカフカ、ピンチョン、ボルヘス、ベケット、唐十郎、青木淳吾、マラルメ、天沢退二郎、ジョン・アッシュベリーなど、いわゆるぶっ飛んでるとか難解と言われる小説や詩がけっこう好き(わぁ~こんなふうに書けるんだ、書いていいんだ!と嬉しくなるし、脳みそを揺さぶられる感じがするから)なんですが、そうじゃない人もいっぱいいる…というか、大多数なのか…。意味的に分かんないとこあるけど、面白いんだけどな…。

でも、「面白かったわ~」と言って下さる方、「朗読するんなら最後のところだけはいい」「家族意識の解体と再生?」「作者の中の多人格」「サブカルぽい」「オウ坂は異界とのつなぎ目」「怖い」と色々な感想が聞けて、良い悪い合わせて広い解釈がある詩が好きなので、良かったなと思いました。みなさんお優しい。

もちろん、散文的な意味や規則(?)をちゃんと守って、削る、一番いい言葉を使う、比喩や造語、という言葉の美の追及をしている詩人はすごいなと思うし、憧れ、があります。とても難しいことです。意味、筋、起承転結、テーマが大事なんて誰が決めたの?と思う自分がいる一方で、あえてその制約の中で何か書く、というのも尊敬に値することです。そういうの読むと、感動するのも確か。でも自分が書く場合はつい、自分的に面白い方にいっちゃいます。詩のいいところは、芸術的でも、かわってても、どんな風に書いてもいい、というところだと思うから。

何故私は分かりにくい詩を書くのかというと・・・

分かりにくい詩には色々種類があるんですが、マラルメやジョン・アッシュベリーは音楽(フランス語や英語の、音楽的強弱や響き)を意識していて、意味はないわけじゃないけど、有機的つながりはあまりなく、パウル・ツェランの詩は、とても言葉では言えないような苦しみや悲しみを無理に言葉にしようとして、とかユダヤ教知ってるの前提であの作品、私の場合は、音楽を意識の時もあれば、イメージがぽんぽん出て面白いかな、の時もあれば、読者を揺さぶりたいという目的の時(「オウ坂」とか)もあり、日本語の面白さを見たいというのもあり、色々です。意味内容よりも、「書き方」の方に意識がいっちゃってるので、意味を追うと「???」ということになる。
でも、分かりにくいからこそ、意味的な広がりがあって、読み方が色々できて、感想を聞く作者もびっくりしたりできる。つまり、読者が能動的に参加できるという利点があるんです。大前提として読者が参加したくなる魅力がないとだめだけども・・・頑張ろ。
 国語の授業じゃないんだから、テーマや作者の気持ちや比喩の素敵さを追うだけが詩の読み方じゃないと知ってもらいたいし、音だけ楽しむっていう読み方とか、余白を味わうとか、色々あるから、色々な読み方、自分に合った読み方、自由な読み方・書き方、というのを見つけて、楽しむ人が増えたらいいなーと思います。


「オウ坂」は、平居 謙氏主催の『新次元』というオンラインジャーナル(詩とサブカルチャーと批評空間)2号で、「詩と思想」編集スタッフの青木由弥子さんに紹介していただいています。「ことばを そっと おしひらく5月から7月の間に出会った詩 青木由弥子」 http://geijutushinjigen.web.fc2.com/aokisan.pdf
(同人誌上の筆名はふるるでなくて遠海真野です)



散文(批評随筆小説等) 行ってきました詩集を読む会 Copyright ふるる 2017-08-07 11:52:43
notebook Home 戻る  過去 未来