へび坂
田中修子

その坂は四季をつうじてみどりにうねっている。
脇のブロックには苔や羊歯がびっしりとはえていて、上にはつねに葉がそよいでいる。
春夏にはきみどりが目にしみて鳥がさえずり、通る風はすっきり澄みきっている。秋冬には黄や赤がてんてんとまざって落ち葉のカサコソという音が耳をくすぐり、命が地にかえっていく匂いがする。
坂は短い距離ながら、入り口から出口をみとおすことができないほど曲がっていて、子どものへびがうねうねとからだをよじらせているようだ。
私は、このへび坂にうまれた。すこやかだった頃の祖母に手を引かれ、よろめくように歩んでいる、幼稚園児の私。
 
祖母は銀色と灰色が似合って、いつもれんげのにおいのする人だった。
れんげリンスですすがれた銀の髪に銀縁の眼鏡、その奥にはたくさんのものに洗われて色の抜けた、灰色の目。
着物からワンピースに仕立てたという、上品で丈夫な灰色の服を何着か桐のタンスに持っており、だめになったところにはつぎを当て、かなしいほど丁寧に着ていた。
あのころ私は祖母の孫ではなく、子だった。母はうちのなかにいたり、いなかったりするおんなのひとで、母に持つはずだったいとしさは、すべて祖母にむかっていた。

「熱が下がったさかい、ちょっとでも散歩するか? 今日はあったかいけぇ」
「ん」
ぼんやりした頭でうなずく。私はそのころ高熱が毎日出て立ち上がれない日が続き、この子はいつまで生きられるのかと、心配されていたらしい。
ぬるくなったお絞りがおデコからはずされ起き上がる。熱く腫れたような体を、しぼりたてのタオル、次にふんわり乾燥したタオルで拭いてもらうと、あたたかくなった体で祖母に抱きつきたくなるきもちを抑えた。

気がつくと祖母に手をひかれてへび坂をくだっていた。
「今日はあったかいなぁ、出られてよかったなぁ」
体中が湿気につつまれるようで、春隣のころだったのだろう。
あの頃は風さえ見えるようだった。風には花や雨や空があった。
その風になでられてみどりが、ざわざわとゆれている。私の湿ったい手が、祖母の乾燥した手にしっかりとひかれる。ふたりはへび坂を、みどりの産道の中を、詣でるように、ゆっくりと抜けて行った。
へび坂の終わり、胸の奥から酸っぱいものがこみあげてきた。
「しんどいんか?」
「しんど」
「ちょっと待ちんさい、もうすこしいったところにお便所があるから」

ふっと記憶が途切れて、私は黄色い滑り台の階段のところに白いすっぱいものを戻してしまっていた。祖母の手が、背をなでてくれている。

へび坂のそばには、らいおん公園があった。第四公園、の「だいよん」が「らいおん」にもじられたのだろうけど、私は大きくなるまで、いつも白いライオンがそこらのしげみにひそんでいると思っていた。
そのらいおん公園にいけばいつも友だちがいて、この黄色い滑り台をみんなですべる。滑り台を、よごしてしまった、いけないことだ。
ふっと気付く。
友だちのお母さんは黒い髪なのに、隣にいる祖母は、灰色だ。
やさしく背を撫でられているのを、誰にも見られたくなかった。
「もうへいきや、手ぇはなして」
祖母は私をしずかに手放した。

帰りのへび坂は夕暮れで、あんなにすべてだった祖母が、いっぺんにちいさくなった。祖母が私を引いてくだった坂を、私が祖母の手を引いてのぼる。急にいじわるに暮れてゆく空、「足が動かないけぇベビーカーにスーパーの買い物袋入れとるから、近所の人にきちがいと呼ばれとる」うわさ話をする木々。

あのとき黄色い滑り台に吐いたのは羊水だった。羊水を吐く前、世界と私に境目はなかった。私自身が一瞬目を離すと散っている花、からだをつらぬく雨の音、どんなに背伸びをしてもつかめない空、れんげのにおいのする祖母、そうしてへび坂だった。

祖母がこの世を去って十五年以上たついまも、へび坂は苔と羊歯の色を濃くし、舌舐めずりして飲み込んだ赤ん坊をこの世にはなちつづけている。そんな産道は、ほんとうはそこかしこにある。


散文(批評随筆小説等) へび坂 Copyright 田中修子 2017-04-11 00:10:01縦
notebook Home 戻る