読書と表現
葉leaf

 私にとって本を読むことと文章を書き表すことは、人生にとって不可欠のものとなっている。人生自体が読書や表現を前提としていて、呼吸や食事をするように私は言葉を吸収し吐き出す。読書と表現は、養分と活動であり、私の心の生存になくてはならないものである。読書と表現ができなくなったら私の心は死んでしまう、そのくらい切実なものなのである。
 沈黙は死であり、感受性が死ぬときは自分が死ぬときだ。20代の頃から私はずっとそう思ってきた。一時期それを、資本主義的な生産主義や成長主義と同質なものと考えていたが、実質はそうでもないようだ。かといって何かを得たり感じたり語ったりする快楽に淫している、そのような快楽主義とも異なる。私にとってインプットとアウトプットは、恐らく自らの平衡と世界との平衡を保つための生命活動に他ならない。
 私は人生の問題、社会の問題について鋭敏な意識を持っている。生きていく中で直面する様々な問題を鋭敏に察知して、それを課題として引き受けてしまい、それがわだかまりとして蓄積していくという厄介な性格の持ち主だ。問題を察知したとき、私の中の平衡が崩れると同時に、世界と私との平衡も崩れる。私はそれらの平衡を取り戻すため、教養を積み、文章で問題に一応の解決を与える。問題に解決を与えることで、平衡はその部分において回復する。
 感受性の病にとりつかれた人間は、自らの精神の生存、その平衡のために、常に読書しまた表現していかなければならない。


散文(批評随筆小説等) 読書と表現 Copyright 葉leaf 2017-02-03 12:39:21
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