彷徨いの淵
高林 光

昼間なのに少し薄暗い北向きのカフェ
観葉植物の傘の下で
大きな背もたれのひじ掛けがついた椅子に深く腰掛け
背中の後ろ、ガラス窓から差し込む少しの陽射し
店内には静かにジャズ

まったく僕は
この椅子がもたらしてくれる平穏を
窓から差し込む薄明かりを
静かなジャズがかすかに揺する心持を
テーブルの横に置かれた大きな観葉植物の
薄黄緑色の葉の裏を見ただけで
楽しめなくなってノートを広げている

これまでにこういう時間が
僕に何かをもたらしてくれたことがあったろうか
傍目からはとても静かでゆっくりと流れている時間の中で
ゆらゆらと揺れる心持をもてあまして
いつも僕は生きてきたような気がする
傍らには開かれたノート
胸ポケットには二本のペン

ノートに書き留められた言葉が
その時々の偽りない気持ちだったとしても
いま、見返してみて
その時と同じ気持ちになれるわけではない
意味のあることとないことの境界はいつも曖昧で
自分本位の不確かな根拠に押されるようにして僕は
その淵を行ったり来たりしている
言葉が言葉以上の意味を持たないとすれば、きっと
その境界はもっと解りやすくなるはずで
ノートの言葉も、女との他愛もないおしゃべりも
そしてこのカフェも
僕のものではなくなってしまう

「生きている糧」という言葉をなにげないやり取りで使うと女は
そんな大げさな、と小さく笑い出した
確かに女との関係に米の量が入り込む余地はない
すぐにお腹が空くくせに
決まって食べ物を残す女
ふたり
この淵を彷徨うようにして歩く
言葉だけを費やして流れていく時間を
ささやかな幸せに昇華させながら


自由詩 彷徨いの淵 Copyright 高林 光 2016-11-05 18:28:46
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