はぁ
木屋 亞万


夏が終わっていく。カンカンと日差しに照り付けられていたアスファルト。道が太く細く血管のように行き渡っている町で、その熱は人の体温を越えるほどだった。
 夏の忘れ形見として、南の方からやってくるいくつもの台風が、街をむちゃくちゃに濡らして、一日二日高温多湿にしたところで、数日後にはもう朝晩はすっかり冷え切ってしまっている。死にかけの体に、心臓マッサージで無理やり血液を送り続けるような徒労感。南国の暴れん坊たちがどれだけ手を尽くしたところで夏はもう死んでいる。
 夏の日差しの中で、腕を出し、足を出し、汗を撒き散らしていたこの身体。いまや腕を隠し、足を隠し、隠しきれなくなった食欲と戯れている。
街の温度が下がっていくごとに寂しさが増す。BBQの機会に一度も巡り合えぬまま湿気に覆われた炭のような気持ちで、物置のような部屋に転がっている。何もしないまま休日は過ぎ、どこへ行くにしても特に目的はない。ただ疲れている。衰えている。醜く老いていく。人ごみに出かけても、人のいない自然に出会っても、さびしい。音楽を聴いても、本を読んでも、人と話しても、むなしい。くちゃくちゃになった風船みたいな心を、トイレットペーパーの芯みたいな身体に入れて、部屋でごろごろ転がっている。
遠くの街で、美男美女が熱愛し、若者が殺し合い、車が暴走し、政治家が押領し、おじさんが不倫する。何一つ興味を持てない。何かに甘えたり、依存したりしたいのだろうけれど、それが何かすらわからない。行くあてのないRPGゲーム。糸の切れた凧。難破船。たとえなんかなんだっていい。
自分以外のありとあらゆるものたちのせいでこうなったのだし、突き詰めればすべて自分という受け皿の問題でもある。違うやつが舵を取っていたら、ここまで行き詰らなかったのかもしれない。面倒なことに、心の中の主観というか操作担当だけは人任せにはできないらしい。
季節の変わり目には風邪が流行り、特に夏の終わりにはその盛りらしいが、死への勧誘も盛り上がりを見せる頃だ。この秋冬の入り口というのは死への門のように、圧迫感があり一年草を枯らし、虫を殺し、世界をとても静かにする。
口からいくつも台風を吐き出し、目から虫が這い出るような、夏の終わりは秋の始まり。収穫するものもなく、お祭りするものもなく、ただ水平線のような心電図を見ている。静けさの中、部屋中雪をかぶったような真っ白な装いで、秋の虫のような機械音が静かになっている。
夜だ。


自由詩 はぁ Copyright 木屋 亞万 2016-09-24 19:14:32
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