夏の終わりに
高林 光

 久しぶりに訪ねたカフェは、何も変わっていないはずなのに、やはりどこかが少し変わっているような気がした。
 玄関を入る前にマスターと目が合うと、マスターはガラスの向こうで小さく頭を下げた。僕のことを覚えているらしい。
 ここまで来る道すがら、僕は運転をしながら考え事をしていて、それは前回ここに来たのがいつだったのかしら、とか、次にここに来る時には、そうだ娘を連れてきてあげれば喜ぶのではないか、とか、そんな他愛もないことに頭をめぐらせていた。
 娘は今年高校一年生だから、そろそろ彼とこういうカフェでお茶を飲むなんてことがあってもいい。そう思ったのだが、考えながらふと、そういえば世間一般でいう娘の父親にありがちな嫉妬のような感情がまったく湧いてこないのに気づいて、何故だろう、とか考えたりもした。
 人が人を好きになる感情というのはごく自然なことで、例えば中学生だからとか高校生だからとか、彼がいるからとか彼女がいるからとか、アイドルだからとかミュージシャンだからとか、パートナーがいるからとか結婚しているからだとか、そういったことで抑えられるものでもないのではないか、なんて考えて、娘に対する嫉妬心のなさを理解してみようとした。
 付き合っている彼女に、「あなたの奥さんに好きな人ができて、それが分かったらあなたはどうするの」と聞かれ、ひとしきり考えた後で、きっと何も言わないんじゃないかという答えを導き出した。
 女は「へえ」と気の抜けたような返事をしたあとで、「でもそれって、つめたいよね」とあっちを向きながら言った。
 そうなのかもしれないし、少し違うような気もしたのだが、自分が他の人と比べてつめたいのかを測る術もないので黙っていた。だからその一言は、今でも僕の中でモヤモヤしたまま残っている。
 女の言うことが確かだとすると、僕は娘に対してもつめたいということになる。それが答えなのかもしれない。

 カフェが少し変わったような気がした話に戻そう。
 入って奥の二つ目のテーブルの椅子に腰掛けようとして、そこにあった観葉植物に少し元気がないように思えた。よくよく見ると以前と比べて元気がなかったのではなく、観葉植物自体が変わっていた。正確に言うと、いくつかある観葉植物が配置換えされていて、以前より少し小さな観葉植物がそこにあった。
 一番奥のテーブルの、僕が一番お気に入りだった大きな背もたれにひじ掛けがついた椅子の位置も、以前と変わって手前側にきている。この椅子はやはり、一番奥にあるのがふさわしいと思うのだが。
 こうやって、些細なことが少しずつだけど変わっていく。それが自然なことかもしれない。そう思う。
 そういえば、このカフェから少し足が遠のいたのは、とある雑誌にこのカフェが取り上げられたことでいつ来ても満席という状態になり、座れたとしてもまったく落ち着かなくなったからだ。
 久しぶりに訪れたカフェは、以前と同じような落ち着きを少し取り戻しているようにも見えた。店内には小さな声で話をする二人の女性が、コーヒーを飲んでいる。
 カウンターの奥からは、シュッ シュッ シュッ というリズミカルな音が聞こえ、それがマスターの包丁を研ぐ音だとわかることが心地良い。
 頼んだアイスコーヒーを飲み終える頃に、足元が少し寒いなと感じる。
 そんなことで夏の終わりを知るのも、悪くはない。


散文(批評随筆小説等) 夏の終わりに Copyright 高林 光 2016-09-16 11:33:28
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