火の山峠 2016
たま

次郎さんの家は、火の山峠へとつづく
坂道の途中にあって、そのちいさな車
は、登るときも下るときも、まるで不
機嫌な家畜のように、激しく四肢を踏
み鳴らすのだった。
直径八キロ余りの島の真ん中に、レコ
ード盤の穴のような火口があって、ア
ップダウンの勾配と、ゆるいカーブの
つづく海辺の道は、この島の輪郭をほ
ぼ正確に描いていた。次郎さんの案内
で半日かけて右回りに島を一周したあ
と、翌日は左回りに半周して、そこか
ら先は、右も左も同じであることに気
づく。さらにこの島には海のある方向
と山のある方向しかなくて、西も東も
見つからない不安を抱くことになる。
東京から一八〇キロ。かめりあ丸に乗
船して三宅島の次郎さんを訪ねた。団
魂世代の次郎さんが、たったひとりで
三宅島に移住したのは五年前のこと。
「山と海しかないとこだからね」でも、
山も海も、ひとつずつしかなくて、雄
山と呼ばれるその山は二十年に一度噴
火するという。
五日目の朝、火の山峠へとつづく林道
を次郎さんと歩く。平成十二年の噴火
で、白い骨と化したシダジイの原生林
が、皐月の空に蘇る。幾多の罪人がこ
の峠を越えただろうか。右も左も、西
も東もなくて、さらに、今日という日
も、明日も見つからないとしたら、そ
の昔、この島にひとが流された理由も
わかる気がする。きっと、わたしは流
されたのだ。戦争を知らない時代に生
きて、償うすべのない罪を重ねて、わ
たしというささやかな流罪人の、残さ
れた明日と、わずかな希望を、この手
に授かるために。
「あした帰るの?たぶん、飛行機は飛
ばないよ」明日も西の風が吹くという。
次郎さんはもうすっかり島のひと。火
の山峠の展望台を過ぎて林道を下る。
人恋しげなカーブ・ミラーの前に立っ
て、ふたりの記念写真はカーブ・ミラ
ーの瞳の中に。次郎さん、ありがとう。
三池港の桟橋に向う日、そのちいさな
車は、物静かな牛のように坂道を下る
のだった。











   


自由詩 火の山峠 2016 Copyright たま 2016-09-11 20:25:16
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