宇々のひと
たま

藁葺きの小屋であれ
コンクリートのビルであれ
その四隅にはたぶん、
柱がある
その柱の向こうは、果てがなくて
やがてどこまでも丸い大地を離れ、成層圏をぬけだして
宇宙という名の空間をゆくことになる
しかし、
宇宙にも果てがあるはずだから
その宇宙の四隅にもたぶん、
柱があって
その柱の向こうには
宇宙ではなくて
宇々という名の空間がある
たぶん、
あるはずだ

宇々という名はわたしが名付けた

そもそも、
宇宙という空間を、支える空間がなければ
わたしは納得できない
だから、
宇々という空間を創造し、
そのなかに宇宙をおいてみるとすっきり納得できるのだ
と、いっても
この宇々な話は、宇宙の誕生以前にむすびつくから
宇々は、宇宙が誕生するまえから
そこに、存在していたことになる
で、なければ、
佐藤勝彦先生のインフレーション理論にある
真空のエネルギーは、存在しないことになる

そもそも、
ビッグ・バンを生み出した、真空のエネルギーの
真空とは、どこにあって
その真空の存在を支えたものは、なんであったのか

となると、
宇々という空間、もしくは、宇々という世界のなかに
真空が生まれたとみるべきだろう
だから、
ビッグ・バン以後の宇宙が
一三八億光年の広さに膨張した
いまも、
宇宙は、
宇々のなかにあるということだ

宇宙は生の世界である
さまざまな生命体に満ち溢れている
とすれば、
宇々は死の世界といえるだろう

生が先ではなく
死が先にあったのだ

光速に乗って移動する生命体が不死といえるのか
ジョージ・ガモフの
不思議の国のトムキンスを、読むまでもない
相対性理論の、浦島効果には
納得できないものがある
たとえ、
光速で移動したとしても
わたしの肉体は老化するだろうし
百億光年を生きたとしても
宇宙の果てには
宇々の世界が待ち受けている

生が先ではなく
死が先にあったことを
アイシュタインは予知したはずだ

だから、
怖くはない
わたしたちは
宇々に、
帰るだけだ












自由詩 宇々のひと Copyright たま 2016-02-17 20:24:03縦
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