「一押しの力—丸山薫の詩を声に出した日」
石川和広

丸山薫の詩を声に出して読むとたのしい。
なかなか他人の詩を声に出して最後まで読み通すには、自分の体力だけでなく、相手の詩にも
言葉を口にするのに「恥じなくていいよ」という「一押しの力」が要る。
 この「一押しの力」は朗読の場面だけでなく、生きることそのものが「誰かの言葉」を口にする行為の連なりとしてあるなら、「おはよう」にだって「一押し」は必要である。この一押しは、どっから生ずるのかというと、誰かに「おはよう」といわれた経験からではないだろうか?
しかも、この経験は誰もが、知らず知らずのうちに受け入れてきたものだ。
 言葉を出す、口にするといったが、朗読の場合、言葉を迎え入れなければ始まらない。たとえ、自分の作品であっても、否、自分の「語り」だが、ここには、きっかけとなる「経験」がない。だから朗読は、いつも新しく言葉を迎え入れ、咀嚼する息吹きとなる。
 丸山の詩が、僕には今日は「他人事」とは思えない気分だ。僕はいつも自分に対して、よそよそしい。けれども、丸山の言葉に招き入れられ「こんにちは」されて…僕はいつもよりは、少し楽に、自分の言葉より、なにの言葉より、他人の言葉が読みやすいという「経験」をしたのである。
 
 「自分とは誰か?」という自問に答えはないと誰かが言う。そうなのだ。そして、答えのなさを口承を通じて、自分を反響させる場所をつくりだすものとして丸山の詩を、今日、イイと思った。あつぼったく、キレイで、丸く透きとおる水玉の輪郭のように。


泣けるだけ泣きつくした水
悲哀のない水
陰影(かげ)に姿を失ひかけてゐる水
もう水は見えない
この橋桁の闇にはもうゐないだろう

遠く河向こふの薄明の空に尖塔の蝋燭が一本朽葉色の十字
架を燃やしてゐる
水の翼の破片がまだそこにとまってゐるやうだ

(「薄明」より引用―「現代詩文庫1036丸山薫詩集」 思潮社1989)


散文(批評随筆小説等) 「一押しの力—丸山薫の詩を声に出した日」 Copyright 石川和広 2005-02-21 10:18:26
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