YOKIKANA
山田せばすちゃん

はい
父は一昨年なくなりました
何でも胃の腑に硬いがんなるものができたとか
何も食べられず痩せおとろへ
眞つ黒な血を幾度も吐いたすえに死にました
よきかなよきかな

母は昨年
畑で出し拔けに頭が痛いと言ひ出しまして
脂汗を流しながら痛みに耐へてをりましたが
うちに歸つて牀に伏した儘
翌朝には息をしてをりませんでした
よきかなよきかな

兄はこの前の戰に取られて
もう何年も歸つてまゐりません
今頃は戰場でしやれかうべと成つてゐるのか
野臥のぶせり物取りの類に身を落とし打ち首と成つたのか
今のわたくしにはわかりかねます
よきかなよきかな

姉は父の病の折に
人買ひに買はれて都へ
さんざんにをとこの慰みものにされてのち
孕んだ子を始末したすえに
肥立ちもわるくそのままとか
遺骸は寺に投げ捨てられたと
命からがら逃げ歸つてきた姉の朋輩に聞きました
よきかなよきかな

はい
わたくしも嫁に出た先で牛馬の如くに働かされ
子を成せなかつたことをなじられ蹴られ
舉句には勞咳とやら
誰もゐないこのうちに戻されまして
わづかな田畑をたがやして
どうにか息永らえてをりますが
近頃は働くどころか
立つこともままならぬ脚萎えで
おそらくは初春を迎へることも叶ふやら叶ふまいやら
よきかなよきかな

燃しものつきたあばらやで
綿の千切れた懸けものを着て
明ければ雪に成るのでせうか
大きく咳き込んだわたくしの
口からあふれる眞つ赤な血
わたくしはとにもかうにも身を起こし
西に向きなほつて兩の手を併せ
六字の名號を唱へるのです
よきかなよきかな

これでようやつと
皆の待つ彼岸へいける
ちちさま、かかさま、あにさま、あねさまが
西方淨土の蓮のうてなで
わたくしに早くおいでと手招きをして
なむあみだぶつ
よきかなよきかな

                           *げだのかうりんきはもなし
                            かうそくかむるひとはみな
                            うむをはなるとのべたまふ
                          びやうどうかくにきみやうせよ

大歳おほとしの鐘がなる
よきかなよきかな

                       *しやうじやうかうみやうならびなし
                             ぐしかうのゆへなれば
                       いつさいのごうしやうものぞこりぬ
                          ひつきやうへをきみやうせよ

氣がつけばこの身は
金色こんじきにひかりかがやき
よきかなよきかな

                                *がんにしくどく
                              びやうどうせいつさい
                              だうはつぼだいしん
                              ほうじやうあんらこ

                         (*は淨土眞宗「正信偈」より)


自由詩 YOKIKANA Copyright 山田せばすちゃん 2015-12-30 09:28:31縦
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