いわしの骨からあげ
そらの珊瑚

海辺の街で育ったので、食卓にはよく魚があった。
その中でもいわしは定番で、母は何十匹も小さないわしをさばき、わたしたち姉弟三人は刺身が大好きで、先を争うようにそれを食べた。
その際に出るいわしの骨を母は捨てずに唐揚げにした。
ただ油で揚げて、塩をふりかけただけのそれは、酒のつまみには最適なのだろうが、子どもには不人気だった。
そこで母は「ひとつ食べたら一円あげる」というきまりごとを作った。
そのたびに、こずかい欲しさに我慢して十個は食べただろうか。
けれどじっくりと焦げ茶色に揚げられたそれは苦々しく、不味いものだったことに変わりなかったが、あの頃のわたしは想像すらしなかっただろう、数十年ののち、こうして思い出すと、あの苦々しい不味さも、滋養のある食べ物のように優しい後味を連れてくることを。

わたしの長男が高校生の時に、体育の授業中に転んで足にひびが入った。
そのときに心の奥底には罪悪感のようなものがあった。つまり、母親としてカルシウムをちゃんと摂らせなかったことで、骨密度が低いのではないかと。
けれどわたしはいわしを三枚におろすことが出来ない。
せいぜいがじゃこふりかけで勘弁してもらうしかないのだ。

今日食べたものはきっと今日のエネルギーになるのだろうし、明日の体の一部になるのだろう。
そうやって消化されたあともなお、体のなかに宿り続けるものもあるような気がする。

筍が竹の子である時はほんのひとときだけれど、竹になったあとも筍であった記憶を懐かしむことがあるのだろうか。


散文(批評随筆小説等) いわしの骨からあげ Copyright そらの珊瑚 2015-11-11 10:32:46
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