世間が変だ?3(関連の最新トピック付き)
石川和広

要は病気を私たち医者じゃない人がどう捉えるかで、こんなの僕にもわからんが、医者が必要という前提はあっても、自乗自縛に陥り、自分と自分自身に不整合を感じ、それが、カラダや頭や行動を(爆)させたり、疲れてしまうので、これが、精神科の扱う病気と、勝手に仮定できるか。
まあ、したとしてみると、他のしんどさや悩みとかわらんが程度や長さが外身から分かりにくい

しかし苦悩してこじれとる。ここを他の病気や悩みと分けていいかは、医者でもかなり議論があるが、権利や義務を社会的に行使しにくい状態を病気やというたらいかがか

このあたりで
僕は困るのであるう
権利や義務を社会的に行使しにくい状態を
今までの重症度判定だと
働きたくない感じとか、働けない感じは
つかめないので「社会的ひきこもり」なんて
かわッた言葉を持ち出す必要が出てくる

どれほど、重症で、あっても、はたらきたい人がいる
しかし、まさに彼が入退院をくりかえしているとか
逆に働きたくない感じとか、働けない感じを持っている人が
従来いう軽い人(重い人であっても)だったら、どう社会にパスしていくことが
できるのか?
書籍でも出ているが、病院で詩や文章や絵を書いてる人もたくさんいるのも
あまりしられていない

そもそも、心はからだ同様変化をしていく
つまり、限られた範囲で自由なのだ

それを「社会的ひきこもり」なんて
ちゅとはんぱなカテゴリーに入れてしまうのは変だ

どんな患者でも、「社会は、こう出来ている」
「人と人はこう関係する」というイメージを持っている
それ抜きに保護したり手放ししたりは、どの患者に対してもへんだ。
しかし、しんどさに関し、親、患者、医者、世間、国家
みんなものさしが色々で、こういう中を
どんなかたちの苦悩者も、ぐるぐるガッシャーンで
通り抜けていく…行けるのか?俺、行ってる中と考えたいぞ俺
これを人生や成長と言わずして何と言う

以下、世間は変?関連の最新トピックを引用して終わりとする
ちょいと興味深いかも


http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/seisinn1.htm
から佐藤幹夫(「健康保険」04年1月号掲載)の文、引用

 厚生労働省が、平成一五年から精神保健福祉改革の具体的取り組みを始めるとし、そこで示された重点的な施策は以下の四点である。
(1)普及啓発(精神障害に対する社会の正しい理解をはかり、当事者の社会参加の機会を増やす)
(2)精神医療改革(病床の専門化し機能分化をはかり、病床数全体を減少する。救急体制と地域ケア体制の整備)
(3)地域生活の支援(居住先の確保と雇用の支援、相談機関の充実)
(4)「受け入れ条件が整えば退院可能」な七万二千人の早期退院
 
滝川一廣(精神科)インタビュー引用

「こうした改革は前から言われていたことですが、今回出された提言には、コストについてまったく触れられていませんね。ほんとうにコストの裏づけがあるのかどうか。救急病棟、地域支援、こうした提言を真剣に実行しようとすると、膨大なコストがかかることになりますが、それがないかぎり、実効性は薄いですね」。確かに今回の提言は、常設の医療のみならず、緊急時支援と日常生活支援(就労、住まい、サービス施設等)の強化がうたわれている。このことがどのようなコスト計算がなされているのかは、提言からは見えてこない。滝川氏は、また次のようにも述べる。「早期退院をいっていますが、裏読みをすれば、それだけ入院費を節約できることになりますね。これによってどれくらいコストが浮くのか。それをどこに、どんなふうに回すのか。そうしたことが論じられていませんね。この提言の本音が、医療コストの削減にあるのか、ほんとうに患者さんのケアや暮らしやすさを考えたものか、ちょっと心配ですね」。

 さらに滝川氏は言う。「それから救急医療に力を入れるともうたわれていますが、これはどうしてでしょうか。いきなり急性錯乱で始まる精神疾患は少なく、全体としてはゆるやかに始まっていくわけです。むしろ早期ケアと、患者数に追われて十分話も聴かずに薬だけ出すみたいな現況ではない、こまやかな通院治療がはかれる診療システムを充実させるほうが重要です。救急から医療が始まると考えるのは、そもそもおかしな話です。ですから救急、救急と言っている裏には、社会防衛的な含みがありますね。病床の削減と救急医療とはセットに考えられていて、危ない患者さんは救急で社会防衛して、一方ではどんどん社会に出してしまおう、そういうことなのでしょうか。これで手厚い治療ができるでしょうか」。

 しかし長期入院の問題はどうか、日本の精神科病棟の「収容施設」性への批判は相変わらず根強いが、と筆者は尋ねてみた。「そこには日本の社会的な特性がありますね。自分たちの見えないところに問題を押しやっているのです。たとえばストリートチルドレンが日本にいないのは、児童養護施設という決して条件がいいとは言えない集団ケアのなかに囲い込まれているからですね。わが国では千人に一人を超える割合の子どもたちが施設入所児です。もし精神医療の「収容施設」性を批判するのであれば、こちらの方も同じように問題視しなくてはならないですね。障害者であれ子どもであれ、一度家族から見捨てられたり家族のサポートがなくなると、とたんに社会のなかで生き場をなくしてしまう。これが日本の社会的特性です。社会的特性全体を考えず、精神医療の特殊性とのみ捉えてしまうと、少し間違えてしまいますね」。そして在院日数の問題を考えるのであれば、「在院日数を伸ばしているのは、昔の、たしかに医療がひどかった時代に発病し、社会への足がかりを失ってしまった人です。近年になって発病して入院した人がどうか、ということはきちんと分けて考えなくてはいけません。大雑把なマスとして捉え、アメリカは二週間で退院、日本は数年。だから日本の精神医療は遅れている、というのは、議論としては荒っぽすぎますね」。

滝川氏はまた、アメリカ型の精神医療(DSM診断マニュアルと、脳の損傷に疾患の原因を求める生物主義、薬物治療への過大な依存に代表される)を、近年、とみに無批判に受け入れている現状に、強く警鐘を鳴らす医師の一人でもある。この改革の方向性はアメリカの精神医療がモデルとされており、それが大きな危惧だ、とも滝川氏は言う。「アメリカの医療改革も、患者さんの人権や長期入院の問題などをうたい、病院開放をやりました。それは表看板で、裏には保険など医療経済の問題がありました。そして病院から開放された患者さんがその後どうなったかというと、膨大なホームレスを作ってしまったのですね。自殺者もたくさん出ました。その教訓をきちっと踏まえているのでしょうか。そうでなければ、アメリカの病院開放の二の舞になりかねませんね」。いままちがいなく、自己責任・自己決定を軸とした競争にもとづくアメリカ型の「新自由主義」が、この国でも急速に進んでいる。精神医療や福祉という「社会的弱者」が対象とされる分野に、そうした理念が相応しいかどうか。「コストの問題を伏せ、理念を先行させたまま改革を進めようとすると、そのしわ寄せを受けるのは、かならず現場であり、患者さんですから」と締めくくった。




散文(批評随筆小説等) 世間が変だ?3(関連の最新トピック付き) Copyright 石川和広 2005-02-16 15:17:28
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